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芸術作品の舞台を巡る (絵画・写真)

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芸術作品の舞台を巡る (絵画・写真)

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印象派を代表する画家「クロード・モネ」の家(フランス、ジヴェルニー)

この記事では主に絵画や写真を通じて、その被写体となった場所を芸術作品の舞台として紹介する。また、作者がその地を題材とした作品を多数残す場合には、作者の足跡を通じてその地を舞台とする作品群の紹介を行う。


日本[編集]

北海道・東北[編集]

北海道[編集]

  • 前田真三 — 美瑛町を全国的に「丘の町」として有名にした風景写真家で、代表作としてよく知られるのは美瑛の丘に実り、夕日に照らされて赤く染まった赤麦畑をモチーフにした『麦秋鮮烈(1977年)』。上高地や奥三河などの日本各地の風景写真を撮影するが、ひょんな折に訪れた美瑛町の丘に心を打たれて以来、美瑛、富良野を中心とした撮影活動を進めていった。町には氏が撮影した写真が展示してあるアートギャラリー「拓真館」がある。  所在  美瑛町

青森県[編集]

  • 棟方志功青森市出身の版画家。仏を題材とした版画をたくさん残す。埼玉県では「うまい、うますぎる」の十万石まんじゅうで有名。  所在  青森市

岩手県[編集]

宮城県[編集]

  • 『ハートのしっぽ(2010年)』 — 動物写真家で、猫写真の第一人者でもある「岩合光昭」氏が、「ねこの島」こと田代島に通い続けて撮り溜めた猫写真の中から、選りすぐりの作品をまとめた猫写真集。昨今の猫ブームにおいて、田代島を猫の島として知名度を上げた作品の一つでもあり、愛猫家にとってのバイブル的な作品の一つとも言える。  所在  石巻市田代島

秋田県[編集]

  • 『秋田の行事(1937年)』 — 戦前のフランスの画壇で活躍していた画家「藤田嗣治」制作の大壁画。一つの壁画の中に、秋田の風俗史として、冬の日常生活、夏の竿燈まつり、秋の日吉八幡神社山王祭、年明けの太平山三吉神社の梵天祭りなどが描かれている。作品は秋田県立美術館で展示されている。  所在  秋田市
  • 『秋田(1978年)』 — 土門拳と共に戦後日本の代表的リアリズム写真家とされる木村伊兵衛の写真集(非売品)。その表紙を飾った『秋田おばこ(1953年)』は「秋田美人」の象徴と言える作品。  所在  秋田市・大曲市など。

山形県[編集]

  • 土門拳 — 昭和を代表する写真家の一人。代表作は1950年代から70年代にかけて、法隆寺や中尊寺、三十三間堂などの日本各地の寺院や仏像を撮影して写真集としてまとめた『古寺巡礼(こじじゅんれい)』。出身地の酒田市には氏の作品が所蔵・展示された土門拳記念館がある。  所在  酒田市

福島県[編集]

関東[編集]

茨城県[編集]

栃木県[編集]

群馬県[編集]

  • 星野富弘みどり市) — 群馬県内の中学校で体育教師として赴任したが、脊髄を損傷して首から下が動かなくなった。リハビリ生活の中で筆を口にくわえて植物の絵を描き。詩を添えるようになった。群馬県みどり市には星野の美術館があり、多くの人が訪れる。

埼玉県[編集]

千葉県[編集]

  • 『残照(1947年)』 — 昭和を代表する日本の画家「東山魁夷(ひがしやま かいい)」の出世作で、戦後間もない折に、鹿野山に登り感動した夕日に照らされた冬の九十九谷の眺望をモチーフに、若い頃に訪れた甲州・上越の山々の情景を重ねて描いた作品である。東山魁夷は戦後の復員直後から亡くなるまでを過ごした千葉県市川市の名誉市民に選ばれており、その市川市に東山魁夷記念館がある。  所在  君津市

東京都[編集]

  • 『硫黄島の星条旗(1945年)』
    『硫黄島の星条旗(1945年)』 — 太平洋戦争の真っただ中である1945年、硫黄島の戦いに従軍していた報道カメラマン「ジョー・ローゼンタール」が撮影した報道写真。硫黄島の擂鉢山を制圧後に6人のアメリカ軍兵士が山頂に星条旗を掲揚した様子を撮影した写真で、1945年度のピューリッツァー賞を受賞している。現在、硫黄島は自衛隊関係者以外は入島禁止になっている為、舞台を巡ることはできないが、この作品を元に作られたモニュメントがバージニア州アーリントンのアーリントン国立墓地(写真)で垣間見ることができる。  所在  硫黄島(入島不可。島を周遊するクルージングツアーに参加して海上から眺める程度は可能)

神奈川県[編集]

  • 『神奈川沖浪裏(1831年)』 — 葛飾北斎の名所浮世絵の連作『富嶽三十六景』の一つで、世界的にも知名度の高い日本の美術作品である。巨大な波に向かって突き進む3艘の船とその背景にわずかに垣間見える富士山が描かれている。この絵を描いた正確な場所は不明だが、現在の横浜港(大黒埠頭からベイブリッジ、本牧あたり)から見た風景が神奈川沖浪裏の視点だと言われている。  所在  横浜市

中部[編集]

新潟県[編集]

  • 『長岡の花火(1950年)』 — 日本のピカソとも評される画家「山下清」の代表作品の一つ。花火が好きな氏の作品テーマとして花火大会を選ぶことが多く、新潟県長岡市の花火大会を題材とした長岡の花火は代表作として特に知られている。山下画伯は日本全国を放浪した中で作品の題材を見つける「放浪の画家」として知られ、各地を放浪した中で感動を受けた印象を、自宅に戻って記憶を頼りに制作するという手法を取っている。また、氏をモデルにした映像作品『裸の大将放浪記』を通じてもよく知られている。  所在  長岡市

富山県[編集]

石川県[編集]

福井県[編集]

山梨県[編集]

長野県[編集]

  • 『緑響く(1972年)』 — 昭和を代表する日本の画家「東山魁夷」の作品の一つで、色彩豊かな緑の森林の池のほとりに白馬がたたずむ幻想的な情景が印象に残る作品である。作品のモチーフとなっている場所は蓼科高原の御射鹿池である。シャープの薄型液晶テレビ「AQUOS」のCMの題材として作品が用いられており、そのロケ地も同じく御射鹿池で撮影されている。  所在  茅野市
  • いわさきちひろ松川村) — 子供を描いた水彩画で有名。

岐阜県[編集]

静岡県[編集]

愛知県[編集]

近畿[編集]

三重県[編集]

滋賀県[編集]

京都府[編集]

  • 『天橋立図(1501年頃?)』 — 室町時代の禅僧で水墨画家として知られる「雪舟」の代表作。国宝に指定されており、作品自体は京都国立博物館(京都市東山区)に所蔵されている。日本三景の一つ「天橋立」を鳥瞰で眺めた景観を如実に描かれているのが特徴であり、想像上の風景を描く山水画の慣習と異なった作品である。600年近く前の作品なので、当然作中の風景と現在の風景とではだいぶ異なるが、作中で描かれている智恩寺や丹後国一宮(籠神社)、成相寺などの史跡は現在も残っている。  所在  宮津市

大阪府[編集]

兵庫県[編集]

奈良県[編集]

  • 入江泰吉 — 古都奈良・大和路の風景や仏像、伝統行事などの写真を撮り続けた写真家。三部作『古色大和路(1970年)』『萬葉大和路(1974年)』『花大和(1976年)』などが代表作品。奈良市写真美術館に彼の全作品8万点が収蔵・保存されている。  所在  奈良市

和歌山県[編集]

中国・四国[編集]

鳥取県[編集]

  • 植田正治 — 鳥取県出身の写真家。出身地である鳥取の自然や砂丘を舞台に、人や物を絶妙に構図内に収めてオブジェとして見立てる作調は、写真の本場フランスでも「植田調(Ueda-cho)」と、固有の名詞で紹介されている。主な作品は、鳥取砂丘を舞台に家族を模したモデルを配置した『パパとママとこどもたち(1949年)』など。伯耆町には植田正治写真美術館がある。  所在  伯耆町

島根県[編集]

岡山県[編集]

  • 竹久夢二 — 美人画を描いた岡山の画家。岡山市には夢二美術館がある。  所在  瀬戸内市

広島県[編集]

山口県[編集]

徳島県[編集]

香川県[編集]

愛媛県[編集]

高知県[編集]

九州・沖縄[編集]

福岡県[編集]

  • 『筑豊のこどもたち(1960年)』 — 昭和を生き抜いた写真家・土門拳(「#山形県」参照)の写真集。エネルギー政策の転換により役割を失った筑豊の炭鉱町で暮らす子供たちの姿を通じて、日本の経済成長の一断面を切りとった写真の数々が収められている。  所在  飯塚市など。

佐賀県[編集]

長崎県[編集]

熊本県[編集]

  • 大野勝彦菊陽町出身。農作業中に両腕を切断、それより腕に筆を取り付けて絵画と詩を書く。
  • ユージン・スミス — 水俣病の患者を撮りつづけたカメラマン。最後はチッソ関係者によって殴打される。  所在  水俣市

大分県[編集]

宮崎県[編集]

鹿児島県[編集]

沖縄県[編集]

アジア[編集]

中国[編集]

  • 廬山 (Lushan) — 江西省九江市の南部にある山で、ユネスコの世界遺産に登録されている景勝地である。廬山には数多くの詩人や画家が訪れており、廬山をモチーフにした作品が多く制作されている。絵画の世界では、山水画の発祥地として知られており、明代の画家「沈周(しんしゅう)」が廬山の瀑布を描いた『廬山高図(1467年)』などが知られている。  所在  九江市

オセアニア[編集]

フランス領ポリネシア[編集]

  • ゴーギャン — 19世紀に活躍したフランス人画家。晩年はフランス領ポリネシアに渡り、ポリネシアを題材にした作品を生み出すことになる。代表作は『タヒチの女たち(1891年)』『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか(1897年)』など。タヒチには、ゴーギャンのアトリエ「快楽の家」が再建されていたり、「ゴーギャン博物館」といったスポットがある。  所在  タヒチ

ヨーロッパ[編集]

イギリス[編集]

  • 『雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道(1844年)』 — イギリスを代表する風景画家「ウィリアム・ターナー」の作品。産業革命で急速な近代化の最中にあった、当時のイギリスを象徴する蒸気機関車をモチーフにした作品で、雨の降る中、テムズ川に架けられたメイデンヘッド鉄道橋を渡るグレート・ウェスタン鉄道の蒸気機関車が描かれている。メイデンヘッドはロンドンから西に40km先の町で、パディントン駅から電車で30分程度の郊外の町である。  所在  バークシャーメイデンヘッド
  • 『アビイ・ロード(1969年)』 — イギリスのロックバンド「ビートルズ」の12作目のアルバムで、ジャケットの写真をEMIスタジオ(アビー・ロード・スタジオ)の前にある横断歩道で撮影が行われ、その街路名(Abbey Road)を取ってアルバム名としたという由来がある。ビートルズの4名がアビイ・ロード・スタジオ前の横断歩道を並んで横切る写真として知られており、撮影はジョン・レノンの友人のカメラマン「イアン・マクミラン」が行なった。以来、この横断歩道は世界中のビートルズファンが訪れる観光名所と化し、ビートルズのジャケットを模した写真を撮影しようとする観光客が訪れるようになり、2010年に英国の歴史的文化財に指定された。  所在  ロンドン(ジュビリー線セント・ジョンズ・ウッド駅が最寄り駅)

イタリア[編集]

  • カナレット — 18世紀のヴェネチア(ヴェネチア共和国)の風景画家。代表作として『東を望むサン・マルコ湾(1740年頃)』などが知られている。カメラ・オブスキュラを絵画制作に用いており、ヴェネチアの景観が詳細に描かれた作風が特徴である。カナレットが使っていたとされているカメラ・オブスキュラは、ヴェネチアのコッレール美術館に保存されている。東京ディズニーシーにあるレストラン「リストランテ・ディ・カナレット」の店名の由来であり、店内には彼の作品のレプリカが飾られている。  所在  ヴェネチア

オランダ[編集]

  • 『デルフトの眺望(1660年頃)』 — オランダ人の画家「フェルメール」の作品の一つ。現存する作品は30数点と少なく、その内、風景画はデルフトの眺望を含む2点だけである。フェルメールの出生地であるデルフトの眺望を描いた場所は、デルフト市の南側を流れるスピー川の対岸からのものとされているが、描かれている建造物の大半は現存されておらず、正確な場所までは特定できない。唯一残っている新教会を目印に大体の場所がわかる程度である。市内にはフェルメールの博物館であるフェルメール・センターがある。  所在  デルフト

スペイン[編集]

  • 『ゲルニカ(1937年)』 — 画家「パブロ・ピカソ」の作品の一つ。スペイン内戦でナチスの無差別空爆を受けたバスク地方の都市ゲルニカを題に作成された絵画で、空爆のあった当時パリに滞在していたピカソがゲルニカ空襲の知らせを聞き、その義憤によって作成された作品と言われている。  所在  ゲルニカ
  • パブロ・ピカソ — スペインのマラガ出身。91年の生涯の上で3回の戦争、それが故の平和思想に、独自的思想として考えるものも多い。  所在  マラガ
  • サルバドール・ダリカタルーニャ地方のフィゲラス出身の画家でシュールレアリスムを代表する作家として知られる。代表作は『記憶の固執(1931年、別名『柔らかい時計』)』。カタルーニャ州ジローナ県にある漁業で栄えた街「カダケス」に別荘を持ち制作活動の場としていた。非現実的な世界観を描いているのがダリの作品の特徴として挙げられるが、非現実的な世界観の中にはカダケスのクレウス岬などのカタルーニャ地方の原風景が投影されている。フィゲラスの街に「ダリ劇場美術館」、現在はリゾート地となっているカダケスの街に「ダリ美術館(卵の家)」がある。  所在  フィゲラスカダケス

ノルウェー[編集]

  • 『叫び(1893年)』 — ノルウェー人の画家「エドヴァルド・ムンク」の作品。オスロ郊外のエーケベルグを散策していたムンクがオスロ・フィヨルドに沈む夕日を眺めていた時に、「不安感が募るような幻覚に襲われた」という自己の体験を作品に投影している。エーケベルク公園の丘にムンクの叫びの構図に一致するスポットがあり、そこで叫びの制作が行われたといわれている。  所在  オスロ

フランス[編集]

  • 『アルルの跳ね橋(1888年)』 — オランダ出身の画家「フィンセント・ファン・ゴッホ」の作品の一つ。ゴッホがこの作品のモデルとしたラングロワ橋は現存されておらず、のちに観光スポットとして再現するが、周囲の環境が様変わりしすぎて作品のイメージとは似つかぬものになっている。  所在  アルル
  • 『黄色い家(1888年)』 — フィンセント・ファン・ゴッホの作品の一つで、パリからアルルに移り住んだ時にアトリエとして借りた建物(通称「黄色い家」)を被写体としている。アルルのラマルティーヌ広場にはゴッホが住んでいた「黄色い家」が今も現存している。  所在  アルル
  • 『グランド・ジャット島の日曜日の午後(1884年-1886年)』 — 19世紀末のフランス人画家「ジョルジュ・スーラ」の代表作で点画法で製作されている。舞台となるグランド・ジャット島はパリ近郊のオー=ド=セーヌ県にあり、セーヌ川の島(中洲)である。  所在  オー=ド=セーヌ県
  • 『サン=ラザール駅裏(1932年)』 — フランスの写真家「アンリ・カルティエ=ブレッソン」の作品で、1952年に出版された写真集『決定的瞬間』に収められた写真の一つ。パリのターミナル駅の一つ「サン=ラザール駅」の道にできた水たまりを飛び越えようとする男の足が、水面に着くかつかないかのギリギリの瞬間を捉えたもので「決定的瞬間とは、日常の中にも潜んでいる」という事を認識させられる作品として評判が高い。19世紀、印象派画家の作品の題材としてサン=ラザール駅がよく描かれており、モネはサン=ラザール駅を題材とした作品を連作で残している。  所在  パリ
  • 『パリ市庁舎前のキス(1950年)』 — 写真家「ロベール・ドアノー」の代表作の一つ。パリ4区にある市庁舎前で若いカップルがキスをしている瞬間を捉えたスナップショットとされていたが、後にこれが偶然を装った演出写真だということが判明する。  所在  パリ
  • 『睡蓮(1899年-1926年、連作)』 — 「光の画家」と評判される、フランスの画家「クロード・モネ」が、1883年からパリの郊外のジヴェルニーに移り住み、自宅兼アトリエの庭園を造園して作り上げた睡蓮の池をテーマにした作品群。1890年代終わり頃から亡くなるまでに200点以上制作されている『睡蓮』の連作はモネの代名詞とも言える。晩年のモネが作品制作の為に過ごしたジヴェルニーの庭園「モネの家」は現在は観光地となっている。  所在  オート・ノルマンディジヴェルニー
  • 『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会(1876年)』
    『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会(1876年)』 — フランスの画家「ピエール=オーギュスト・ルノワール」の作品。当時モンマルトルにあったダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」で踊る人々が描かれている。ムーラン・ド・ラ・ギャレットの建物は、現在、フレンチレストランとして営業している。  所在  パリ市内18区、モンマルトル
  • ムーラン・ルージュ
    ムーラン・ルージュ (Le Moulin Rouge) — パリ市内にあるキャバレーの名前。1889年に開業しており、フランス語で「赤い風車」の意味が示す通り、屋根の上に赤い風車が建てられている。19世紀のフランス人画家「トゥールーズ=ロートレック」が当時のムーラン・ルージュに通い詰めた事でも知られており、そこで働く踊り子を題材にしている絵画やポスター作品を数多く残している。2001年に公開されたアメリカ映画『ムーラン・ルージュ』は開業当時のムーラン・ルージュを舞台としており、作中の役としてロートレックも登場している。  所在  パリ市内18区、モンマルトル

アフリカ[編集]

エジプト[編集]

  • 『エジプト誌(1809年-1823年)』 — ナポレオン・ポナパルトが1798年にシリア・エジプト遠征を行う際に、学者や製図家、画家などの170名を超える学術調査団を帯同させ、エジプトの歴史や地理、生体など多種のジャンルにわたり調査したものをフランスに持ち帰り研究を重ねた成果をまとめて出版したのが『エジプト誌』である。エジプト誌は学者による調査記録をまとめた学術的資料であると同時に、随行した画家が描いたルクソール神殿や王家の谷、ギザのスフィンクスなどの遺跡やロゼッタストーンやミイラ、現地の動植物などの挿絵が豊富にあり美術的価値もある。当時のヨーロッパの人々に古代オリエント文明の存在を意識させ、オリエンタリズムを形成させるに至った書籍である。  所在  エジプト

北米[編集]

アメリカ合衆国[編集]

  • 『Santa Fe(1991年)』 — 女優の宮沢りえのヌード写真集で、写真家の篠山紀信が撮影。当時はまだ一般的でなかった「ヘアヌード写真」である事と、当時18歳でまだ未成年であった女優の宮沢りえのヌード写真という話題性から、芸能人写真集としては155万部を販売したというベストセラー写真集になった。作品のタイトルは撮影が行われた街の名称「サンタフェ」に由来する。  所在  ニューメキシコ州サンタフェ
  • 『勝利のキス(1945年)』
    『勝利のキス(1945年)』 (V-J Day in Times Square) — 1945年にアメリカ合衆国のフォトジャーナリスト「アルフレッド・アイゼンスタット」が撮影した写真で、8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦が終わったのをニューヨークのタイムズ・スクエア前でその喜びを分かち合っている中、水兵と看護婦がキスしている瞬間を捉えた写真で、『ライフ』1945年8月27日号の誌上で発表された。  所在  ニューヨーク
  • 『七年目の浮気(1954年)』 — マリリン・モンローが主演の1955年に公開されたアメリカ映画。地下鉄の通風孔から風が吹きあがって、白いドレスを身に着けたモンローのスカートがめくれ上がるシーンは、20世紀の映画におけるもっとも代表的なワンシーンの一つとされている。撮影はレキシントン通りとEast 52nd 通りの交差点で深夜に行われたが、観客の声が入ってしまったがゆえに、結局スタジオセットで撮り直しを行っている。交差点でのロケ撮影に合わせて広告用のスチル写真も一緒に撮影しており、その宣伝写真の方が「モンローのスカート」のイメージとして定着している。  所在  ニューヨーク市レキシントン通り 地図
  • 『Bliss(1996年)』 — 作品のタイトルよりも「WindowsXPの壁紙」と言った方が良く知られているだろう。WindowsXPのPCを使った事がある人なら誰しも一度は目の当たりにした事があるのではなかろうか。この「草原.bmp」とファイル名が付けられた緑の丘の壁紙画像は絵画のようにも見えるが、カリフォルニアワインの産地であるナパバレーで、フォトグラファーのチャールズ・オレア氏によって撮影された風景写真である。  所在  カリフォルニア州ナパバレー 地図
  • 『摩天楼の頂上でランチ(1932年)』ニューヨークのロックフェラーセンターのビル建設現場を撮影した写真。地上から256mにかけられた足場で作業員11人が横並びランチを取る光景を納めた、近代米国史の一幕を表現した作品の一つとして挙げられる。撮影場所はRCAビルディング(現在のGEビルディング)である事が判っているものの「撮影したのは誰なのか?」「写っている人物はどこの誰なのか?」有名な写真であるのにもかかわらず、現在でも謎の多い写真の一つとして挙げられる。  所在  マンハッタン区ロックフェラー広場30号
  • 『夜更かしの人々(1942年)』 (Nighthawks) — 画家エドワード・ホッパーの代表作の一つで、アメリカ現代美術を代表する作品である。暗い夜の街並みと煌々としたダイナー(軽食堂)の窓明かりが明暗の対比となって印象付けられており、この構図が後の映画のカット割りや写真撮影などに影響を与えている。かつてホッパーが住んでいた家の近所の、マンハッタンのグリニッチ・ビレッジに存在したダイナーが作品のモデルと言われているが、現在は取り壊されていている。  所在  ニューヨーク

中南米[編集]

その他の地域[編集]

その他・総括[編集]

この記事「芸術作品の舞台を巡る (絵画・写真)」は、この土地を旅したり、あるいは調べたりする際の参考になる可能性はあるものの、まだ書きかけです。加筆や訂正などをして下さるみなさんを求めています。