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祇園祭を歩く

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祇園祭を歩く

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これは「旅のテーマと主な目的地」の記事です。

祇園祭八坂神社の祭礼であり、毎年7月に行われる京都で最大の祭。行事は7月1日から31日まで行われるが、最も注目を集めるのは7月17日の山鉾巡行とその前夜の宵山である。

期間中の行事[編集]

日程 行事 内容
1日 長刀鉾お千度 巡行の先頭を務める長刀鉾の町内一同が稚児とともに八坂神社に参詣し神事の無事を祈願する。
2日 くじ取り式 京都市役所にて、山鉾巡行の順番を決めるため、各山鉾町の代表者がくじを取る儀式。
10日 神輿洗 四条大橋で鴨川の水を神事用水として神輿を清める儀式。これを迎える提灯行列が「お迎提灯」で八坂神社から河原町通、寺町通などを巡る。
10日~14日 鉾建て・山建て 各山鉾町で山・鉾が組み立てられる。
13日 稚児社参 長刀鉾稚児や他の山鉾の稚児人形がお位を授かりに八坂神社に詣でる神事。
14日 宵々々山 山鉾町で人形や懸装品の飾りつけ、粽やお守りの授与などが始まる。
15日 宵宮 八坂神社境内の灯を消した中、3基の神輿に神霊を移す。
15日 宵々山 山鉾町での山鉾の飾りなどが本格化。祇園囃子の演奏なども。
16日 宵山 祇園情緒は最高潮。50万人もの人々が山鉾町で山鉾やご神体、懸装品の飾りつけ、伝統芸能などの見物に訪れる。お守りや粽を売る子供たちの童歌も。
17日 山鉾巡行 32基の山鉾が四条通から河原町通、御池通を巡行。四条河原町や京都市役所前の交差点では迫力のある「辻まわし」が見られる。
17日 神幸祭 3基の神輿が八坂神社を出発し町内を練り歩いた後、四条寺町の八坂神社御旅所に到着。神輿は24日の還幸祭まで四条センター内に鎮座する。
24日 花傘巡行 花傘鉾が八坂神社から町内を巡行。八坂神社到着後は舞踊の奉納など。
24日 還幸祭 御旅所から神輿は再び八坂神社へ。途中、三条御供所に立ち寄る。
28日 神輿洗 神輿を四条大橋で清めた後、八坂神社神輿庫へ。
31日 夏越祭 八坂神社境内の疫神社に大茅輪が設けられる。参拝者はこれをくぐり「蘇民将来之子孫也」の護符を授かって厄払いをする。

宵山を歩く[編集]

宵山の祇園囃子
  • 宵山の見所は、まずはなんといっても巡行の時は遠目に見るしかない山鉾の御神体や装飾品を間近で見ることである。何百年も守り抜かれてきた装飾品から近年に新調したものまでいろいろだが、どれも京都の町衆が祭りを盛り上げるために入手してきた逸品ばかり。また、鉾によっては見物客が乗ることができるので、機会があればぜひ、屋根に描かれた鮮やかな絵柄などを楽しみたい。ただし一部の鉾では男子のみ。
  • 各山鉾町では蝋燭の献灯のほか、お守り、粽、和菓子、手拭、ハンカチ、絵葉書、扇子、団扇などを販売している。山鉾ごとのオリジナルグッズも多く、宵山の数日間しか購入できないので、気に入ったものがあればぜひ購入したい。なお、いくつかの山鉾町では子供たちが「厄除けの粽は これより出ます 常は出ません 今晩限り」などと歌っており(歌は山鉾町によって少しずつ異なる)、祇園祭の情緒を一際盛り立ててくれる。
  • 厄除けの粽はあちらこちらの山鉾で授与されるが、ほとんどの場合、食べられない(一部、和菓子屋が売っているなど例外あり)。これは、1年間家の玄関に飾っておいて厄除け祈願とするためである。見ると「蘇民将来之子孫也」との護符が付いているが、これはスサノオノミコトが旅の途中で蘇民将来に一晩家に泊めてもらったことに感謝して「蘇民将来之子孫也」の護符を持っていたら守ってやると言ったとの故事による。八坂神社にも売っている。以前は巡行のときに鉾から投げられていたが危ないので今は行っていない。
  • 山鉾町によっては、祇園囃子の披露や、伝統芸能の演舞などもある。興味があるものについては事前に時間等を調べておきたい。
  • 山鉾以外でも、山鉾町周辺では家の名品を特別に公開されることも多いので(「屏風祭」と呼ばれる。もっとも、屏風ばかりではなく家によって着物、鎧なども)、歩きながら探してみるのも面白い。見かけは普通の町家でも、江戸時代の名品などを所蔵しているケースなども多く、京都の歴史を改めて感じることができる。
  • 注意しなければならないのは人出の多さ。京都市内はもとより近県・遠方からも多数の見物客でごった返す(4車線の四条通りが人で埋まってしまうこともある)ため、迷子や盗難、遺失物などが少なくないので十分心構えを。また、一方通行が実施されることがあるので、当日よく確認しないと予期せぬ遠回りを強いられることになる。なお、宵山でも16日よりは15日(宵々山)のほうが混雑は避けやすい(ただしその年の曜日や天候などによっても変わる)。


山鉾巡行の見所[編集]

山鉾巡行
  • かつて、山鉾巡行は17日の「前祭」と24日の「後祭」に分かれていたが、1966年(昭和41年)に17日に統合され、前祭 → 後祭 の順で山鉾巡行が行われる。巡行の順番は毎年くじ取り式で決めているが、長刀鉾など8基の山鉾については古来からの慣習で「くじ取らず」として順番が固定されている。
  • 巡行のコースは四条烏丸→四条河原町→河原町御池(京都市役所前)→新町御池の順。御池通りには例年有料観覧席が設けられる。
  • それぞれの山鉾町から進んできた山鉾はまず四条堺町で「くじ改め」に臨む。これは事前に定めたくじ順通りに進行しているか確認する儀式で、山鉾ごとに奉行(京都市長)にくじを出すポーズが異なり、面白い。
  • 先頭の長刀鉾は四条麩屋町で「注連縄切り」の儀式を行う。注連縄は東の神域と西の人間界との間を仕切る意味があると言われる。巡行に先立つ15日早朝に高橋町の人により斎竹(いみたけ)が建てられ注連縄はその間に張られる。巡行を開始しここまで来た長刀鉾はいったん停止し、鉾に乗った生稚児が注連縄を太刀で一刀両断にする。スパッと切れれば縁起がいいとか。
  • 交差点では曳山や鉾が方向転換のため「辻まわし」を行う。車輪の下に割竹を敷き、水をかけ、音頭とともに引っ張って進行方向をずらしていく。総重量10t超の鉾が回転していく様子は圧巻。注連縄切りと並ぶ巡行の見所で、四条河原町交差点は早くから人で埋まる。
  • 鉾や曳山では祇園囃子を奏でながらの巡行。「コンチキチン」と擬音されるが、曲は山鉾によって異なり、また、交差点を曲がるたびにゆったりした曲になったり速いテンポの曲になったりする。巡行以外でも7月に入れば山鉾町で練習が始まり、宵山でもあちらこちらで耳にすることができる。また、神輿の鎮座する間の御旅所でも囃子の演奏がある。
  • 巡行が終わり帰ってきた山鉾はすぐに懸装品を外し解体され、夕方にはバラバラになっている山鉾もある。残念という人もいるがいずれにせよ巡行後ゆっくり見ることは不可能。


山鉾[編集]

 一口に「山鉾」と言うが、「山」と「鉾」は別のものである。どこが異なるかというと、「山」は中心に「真松」を立てるのに対し、「鉾」は「真木」を立てる(例外は傘鉾2基と船鉾)。さらに、「山」は「曳山」と「舁山」に分かれる。「曳山」は2m近い車輪がつき人が乗っているような大きなもの、「舁山」は何人かで担げるように轅(ながえ)が取り付けられているものとイメージすればよいだろう。もっとも、現在の舁山では終始担ぎながら巡行する訳ではなく、車輪が取り付けられており転がして巡行し方向転換の場合にだけ担ぐようになっている。また、「鉾」は通常は曳鉾で曳山と同様に囃子方などが乗る大きなものである。「傘鉾」2基は例外で、「踊り鉾」と言われ人は乗らない小規模なもので、巡行に棒振り踊りが加わるのが特徴である。

前祭[編集]

長刀鉾(四条烏丸東入)
くじ取らずで山鉾巡行の先頭を務める鉾で、山鉾の中ではもっとも有名である。鉾頭の大長刀が特徴で、平安時代後期に祇園社に寄進された長刀が起源といわれる。前から見ると長刀の刃が左側を向いているが、これは八坂神社や御所の方に刃を向けないためだと言われる。巡行時に生身の稚児が乗るのはこの鉾だけ(巡行に加わるという意味なら綾傘鉾も生身の稚児。)。鉾の拝観は男性のみ。
孟宗山(烏丸通四条上)
別名筍山。孟宗が病気の母を思い好物の筍を雪の竹林で奇跡的に掘り出したという中国の説話を元に、筍を持って喜び帰る孟宗の姿を表現している。見送は竹内栖鳳の墨画「墨竹図」。
油天神山(油小路通綾小路下)
別名牛天神山。町内にあった風早家という公家の邸宅にあった菅原道真像を御神体とする。富士山が描かれた見送は1990年に新調された梅原龍三郎原画の「朝陽図」。宵山では学問成就のお守のほか、梅を差した粽を授与。
保昌山(東洞院松原上)
和泉式部に思いを寄せる平井保昌が式部の願いに従い、弓矢に狙われながらも紫宸殿の前の梅を折って持ち帰り恋を成就させたという故事をあらわす。宵山では縁結びのお守りを授与している。
函谷鉾(四条烏丸西入)
くじ取らずの5番目を巡行。中国の戦国時代の孟嘗君が秦の国から逃れる際に未明でまだ開かない函谷関に着いた際に、追っ手から逃れるため孟嘗君の食客の一人が鶏の鳴きまねをして関を開けさせ、無事に逃れることができたという故事に基づく。稚児人形は江戸時代の左大臣一条忠香の子実良をモデルとしている。
太子山(油小路仏光寺下)
六角堂を開いた聖徳太子を御神体とする。宵山では智恵のお守りが授与されるほか、絵馬も売られており、志望校合格などの願いを書いた絵馬が町会所前に奉納されている。巡行時には茶弁当運搬用の御供車が随行する。
四条傘鉾(四条通西洞院西入)
起源は応仁の乱以前という古い鉾であるが、1872年から1987年まで中断されていた。巡行時に見られる棒振り踊りもこの再興時に復元されたもの。傘の上の赤幣が特徴。
占出山(錦小路通室町東入)
別名鮎釣山。神功皇后が外征の前に「勝ち戦なら魚を」と祈って肥前松浦で釣りをしたところ鮎が釣れたとの物語を表す。船鉾と同様に神功皇后を祭り、安産の守護として知られる。宵山では安産の腹帯、吉兆あゆなどが売られる。
鶏鉾(室町通四条下)
古代中国の名君堯帝が政治に不満がある時に鳴らすよう設けた太鼓に鶏が巣を作ってしまうほど天下がよく治まったとの故事に基づく。見送りのタペストリーは鯉山とセットの「イーリアス」を題材とした逸品で、重要文化財。近年復元新調された。
白楽天山(室町通綾小路下)
詩人白楽天が道林禅師に「仏法の大意は何だろう」と尋ねると、道林は「悪いことをせずに良いことをすることである」と答えた。白楽天は「そんなこと子供でも知ってるだろう」と返すと、道林は「そうかもしれないが80の爺さんにもなかなかできないであろう」と言って白楽天は感服したという。この会話を台座にしたのがこの山。宵山で授与されるお守りは学問成就の御利益あり。
霰天神山(錦小路通室町西入)
かつて火事が起きたときに突如霰が降ってきて火事はおさまりそのときの霰とともに小さな天神様が降ってきたことが起源という。その後幾度の大火事の中でもこの山は被害を受けていないという火除けの神様。宵山で授与される雷除火除のお守りが有名。
山伏山(室町通蛸薬師下)
浄蔵貴所という修験者が大峯山に入る様子を表した山。浄蔵貴所は三善清行の子で、その法力により父を生き返らせたり傾いた八坂の塔を元に戻したりしたという。役行者山と同様に仏教色が強く、聖護院の山伏の巡拝や六角堂から法印の祈祷が行われる。
月鉾
月鉾(四条室町西入)
祇園祭の山鉾の中で最重量。円山応挙作の「金地彩色草花図」、左甚五郎作の兎の彫刻、前掛のインド製メダリオン絨毯など、華やかな山鉾の中にあっても一段と豪華な鉾である。粽を買うと鉾の拝観ができる。
芦刈山(綾小路通西洞院西入)
貧しい夫婦が離縁し夫は芦を刈って売っていたが、後に宮仕えした妻と再会するという謡曲に取材。御神体の頭や小袖として16世紀の作品を所蔵する。見送の「鶴図」はたいへん印象的。
綾傘鉾
綾傘鉾(綾小路室町西入)
1834年に北観音山の改造に伴い不要な部材を譲り受け、人が乗る曳鉾に改造されたが、30年ほどで火事のため消失。明治期に一時復活するもその後100年近く中絶し1979年に復興。曳鉾であったときの小型模型は宵山で会所に飾られるので見逃さないように注意。傘の「垂り」は美しい「飛天の図」で西陣織。巡行時は伝統芸能「棒振り踊り」が演じられる。
蟷螂山(西洞院錦下)
山の上のカマキリが特徴的な山。からくり仕掛けで、巡行のときは(雨でなければ)鎌や首、羽を動かす。宵山ではその可愛らしい姿を先代カマキリともども傍で見たい。また、かまきりおみくじもあり、行列のできる人気を誇る。宵山では手ぬぐいなどが購入可能。
菊水鉾(室町通四条上)
町内の能楽堂にあった菊水井という井戸に由来する鉾で、名水のつながりから宵山の時期に茶会が開かれる。山鉾の中で唯一唐破風の屋根を有する。江戸時代末期に大火で消失したが、繊維商松本元治氏の尽力により昭和28年に復興し、年々装飾品を豪華なものとしている。
木賊山(仏光寺通西洞院西入)
わが子をさらわれた信濃の老父が木賊を刈っていたところ、都の僧に伴われて通りかかったわが子と奇跡的に再開したという、謡曲「木賊」をテーマにした山。この話から、宵山では迷子のお守りが授与される。
伯牙山(綾小路通新町西入)
別名琴割り山。伯牙は中国の春秋時代の楚の国にいた琴の名手で、親友で琴を聴く名人の鐘子期が死亡したと聞き、その悲しみから琴を自ら割って二度と琴をひかなかったという故事(「知音」として知られる)に基づく。
郭巨山(四条通新町西入)
別名釜掘り山。中国後漢の郭巨が、貧しさのためにこのままでは母を養うことができない、母は二度と得られないが子供はまた産めばよい、と考えて3歳になる自分の一人息子を口減らしに埋めてしまおうと穴を掘ったところ、地中から黄金の釜が出てきたという故事に由来する。屋根がある山はこの山のみ。また、目立たないが欄縁の下に乳隠しが設けられている。宵山では金運守りを授与。
放下鉾(新町通四条上)
くじ取らずで21番目を巡行。真木に放下僧を祭ることからこの名が付いている。放下僧とは芸能を身につけた僧で、謡曲「放下僧」は放下僧に扮した主人公が父の仇を油断させ討ち取ったという物語。宵山では市登録有形文化財の町会所を自由に拝観できる。特に目を引くのは見送の皆川泰蔵作「バグダッド」。鉾の見学は男性のみ。
岩戸山(新町通高辻上)
くじ取らずで22番目を巡行。神話の「国生み」と「天岩戸」を題材に、天照大神、手力男命、伊弉諾尊を御神体とする。屋根裏には鮮やかな今尾景年作「四季花草図」。見送は「百人唐子嬉遊図」で、以前使用されていた皆川泰蔵作「ヴェネチア」は宵山で展示されている。
船鉾
船鉾(新町通綾小路下)
くじ取らずで前祭ラストの23番目を巡行。神功皇后が妊娠しながらも外征し勝利し、出産も無事であったとの物語から、その出陣する船を鉾としている。ここから、航海安全と安産の御利益があると言われる。特に船首部分の鷁(げき)は1760年の作で堂々たる威容を誇る。宵山では安産守りの腹帯を授与。


後祭[編集]

北観音山(新町通六角下)
別名上り観音山。くじ取らずで後祭先頭の24番目を巡行。江戸時代までは北観音山と南観音山は隔年巡行であったという。楊柳観音と韋駄天を祀る。見送の「鳳凰日輪額唐子嬉遊図」は17世紀中国の作品。
橋弁慶山(蛸薬師通室町東入)
くじ取らずで25番目。言わずと知れた弁慶と牛若丸の橋上決闘をモチーフにした山。御神体の躍動感あふれる動きが魅力で、巡行時には牛若丸が揺れるがこれも計算のうちという。どこから見ても舞台の正面に見える御神体の配置に感服。授与品の扇子はちょっと可愛い牛若&弁慶。
黒主山(室町通三条下)
別名西行山。歌人大伴黒主が桜を仰ぎ見る姿を表す。新住民も多く参加して活気ある山町で、宵山では黒おたべ、黒あぶらとり紙、黒主山オリジナル団扇などの黒グッズが販売される。
八幡山(新町通三条下)
町内に祀られる八幡宮を勧請した山。山上の鳥居の上にいる2匹の鳥は鳩で、伝左甚五郎作。宵山では夜泣き封じにご利益があるとされる鳩笛・鳩鈴が授与される。また、会所に飾られる「祇園祭後山山鉾巡行図」の屏風は海北友雪筆の貴重な作品である。
鈴鹿山(烏丸通三条上)
旧東海道の鈴鹿峠にて悪鬼を退治したという鈴鹿権現を表す。御神体は神面をつけているが美人像であると言われる。真松をよく見るとたくさんの絵馬がつるされていて、巡行後は盗難除けのお守りとして町内に授与される。前懸のラクダの絵は「黄砂の道」で1989年の新調。
役行者山(室町通三条上)
御神体は役小角で、修験道の開祖。一言主神を使って大峰山と葛城山の間に橋をかけたという故事に由来するといわれる。仏教色が非常に強い山で、7月16日には聖護院門跡の山伏が護摩焚き供養を行う。
鯉山(室町通六角下)
題材は鯉が滝を登って龍になるという「登竜門」。御神体の鯉は伝左甚五郎作で、躍動感あふれるその姿をぜひ宵山の会所で間近に見たい。また、前掛・見送等に使用される懸装品は16世紀ベルギーで作られたタペストリーで重要文化財に指定。
浄妙山(六角通烏丸西入)
平家物語で描かれた宇治川の戦いが題材で、一番乗りを目指す一来法師が、宇治橋で大立ち回りの筒井浄妙の頭に手をかけて飛び越える瞬間を表現した山で、橋弁慶山に劣らぬダイナミックさは必見。宵山では勝運のお守りを授与。
南観音山(新町通六角下)
別名下り観音山。くじ取らずで巡行のラストを行く。見送は加山又造画伯の「龍王渡海図」。山に祀られる楊柳観音像だが、16日の宵山の日、その観音像を台座にくくりつけて担ぎ走り回るという「あばれ観音」の儀式で知られる。

焼山[編集]

休み山とも。かつては巡行に参加していたが火災などで部材などを焼失して現在まで復興されていない山。宵山で残った御神体や懸装品を公開する。

大船鉾(新町通四条下)
もとは後祭の最後に巡行していたが幕末の蛤御門の変で焼失。前祭の船鉾が神功皇后の出陣を表した鉾であるのに対して、こちらは凱旋の様子を表す。神功皇后の神体のほか神面や前掛、水引など一部の懸装品が現存し、121点が京都市指定有形民俗文化財に指定されている。1995年にいったん宵山の居祭を中止するが、1997年に祇園囃子を復活させ、2006年には居祭も復活させており、現在では宵山らしい活気が見られる。船鉾と同様に安産守り・腹帯等が授与される。
鷹山
鷹山(三条通室町西入)
元は大型の曳山であったが江戸時代後期に風雨のため大破。鷹狩りの様子を表す3人の御神体はそれぞれ鷹匠、犬遣、樽負で、このうち樽負は粽を持っている姿。隠れて粽を食べている様子らしく、もとはからくり仕掛けで粽を口元に運びながら巡行していたとも。復興のために寄付されたという皆川月華「染彩猛禽図」は必見。
布袋山(蛸薬師通室町西入)
江戸時代中期に焼失したといわれるが詳細な資料がほとんどなくどのような山であったのかは不明。現在は布袋像と童子像を公開するのみであるが、保存会では往時の姿を調査中とか。

神幸祭・還幸祭と神輿[編集]

還幸祭
  • 山鉾巡行は元来は神輿を京の町へ迎えるための祭事であった。その意味ではこちらが祇園祭の中核。
  • 八坂神社の神は15日の宵宮で神輿に移され、17日の神幸祭で四条寺町の御旅所へ、それからしばらく鎮座し、24日の還幸祭でふたたび八坂神社に戻っていく。
  • 神輿は3基。三若神輿会の担ぐ「中御座」、四若神輿会の担ぐ「東御座」、錦神輿会の担ぐ「西御座」。それぞれ、スサノオノミコト、クシナダヒメノミコト、ヤハシラノミコガミの御霊代を乗せる。どれも金色で大きさは大差ないが、形は異なる。なお、小ぶりの子供用神輿「東若御座」もある。
  • 神幸祭では八坂神社を夕方出発、鴨川周辺の町内を練り歩いた後に、御旅所へ。見所は出発直後に八坂神社石段下と御旅所到着時の差し回し。
  • 還幸祭では御旅社を夕方出発、氏子地域を練り歩き、途中三条御供社で祭礼を行い、八坂神社に到着。神幸祭と同様に八坂神社石段下の差し回しが見所。
  • 御旅所に神輿が鎮座する間の7夜にわたり、家を出てから帰るまで誰とも会話をしないで御旅所に詣でると願いがかなうという言い伝えがある。もともとは花街の舞妓・芸妓の慣わしといわれる。そこまで粘り強く詣でられないとしても、期間中の御旅所ではろうそくの献灯、お守りの授与、祇園囃子の演奏などがあるので、機会があれば訪れたい。


祇園祭と交通[編集]

  • 祇園祭の期間中、京都市営バスの一部路線が順路変更または運休される。

宵山

  • 鉄道を利用する場合は、京都市営地下鉄四条駅・阪急烏丸駅下車が一般的で、鉾町の中心部に出ることができる。長刀鉾が近く、特設の案内所等もある。
  • このほか、京都市営地下鉄五条駅、烏丸御池駅、京阪祇園四条駅などを利用する人もいる。さらに、京都駅から徒歩で向かうことも可能(徒歩15~20分程度)。
  • 当日は市営地下鉄などで臨時ダイヤが組まれる。祭りに向かう見物客は多いが、花火大会のようにいっせいに帰路につく訳ではないので、混雑で乗れないというようなことはあまり見られない。
  • 夕方からは鉾町周辺で交通規制があり、車では進入できない。また、バスも運行取り止めなどになるので、事前に確認しておくこと。
  • 昼間でも鉾建て以後は車両で進入できない箇所が多い。四条通も鉾周辺は車線が減少するため通り抜けるにはかなり時間を要する。さらに徒歩であっても山鉾周辺の歩道は混雑しているので、時間に余裕を持って行動するのがよい。

山鉾巡行

  • 所定の巡行コースのうちどこで見るかにより利用駅は異なる。四条河原町交差点や四条麩屋町で見るならば阪急河原町駅・京阪祇園四条駅。河原町御池交差点で見るならば京都市営地下鉄京都市役所前駅。新町御池交差点で見るならば京都市営地下鉄烏丸御池駅。
  • やはり巡行コースでは交通規制がある。バスの利用を考えている場合は事前に確認を要する。

八坂神社

  • 京阪祇園四条駅下車東へ徒歩10分。市バスなどであれば「祇園」下車。

気をつける[編集]

  • 京都はきもの文化ということもあり、浴衣に下駄という姿にあこがれる人も多い。そのためきもの会社もレンタル浴衣をしているが、京都の夏は暑く、浴衣はなれないと暑いので、汗をかくことには気をつけたい。