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真田一族ゆかりの地

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大坂の陣で采配をふるう幸村の像。

当記事では、戦国武将の中でも後世とくに人気の高い武将の一人である真田幸村(信繁)をはじめとした真田一族のゆかりの地をまとめて紹介する。


真田一族の概要[編集]

真田一族は、戦国時代に信州と上州にまたがる山間の領地を治める小大名だったが、昌幸・信幸(信之)・信繁(幸村)親子と徳川家康との数々の因縁や、配下で活躍したとされる猿飛佐助など「真田十勇士」と呼ばれる忍者の物語が後に多くの作品で描かれ、戦国武将の中でも知名度や人気が非常に高い存在となった。

戦国時代の真田家

真田家の出自には諸説あるが、武将として史料に登場するのは甲斐の武田晴信(信玄)に臣従した真田幸隆幸綱)からである。幸隆は真田郷(現在の長野県上田市真田町)を拠点としながら、信玄の信濃攻略において数々の武功をおさめたほか、隣国上州にも領地を拡大させた。

真田氏本城跡から砥石城址をのぞむ

幸隆が1574年に没した後も、その子息である信綱昌輝昌幸ら兄弟が信玄の嫡男・武田勝頼に仕えていた。しかし、武田軍が織田・徳川連合軍に惨敗した長篠の合戦(1575年)で信綱と昌輝が戦死したことにより、三男だった昌幸が真田家の家督を継ぐこととなった。

武田のライバル・上杉謙信の死後に上州攻略をすすめた昌幸は、要衝だった沼田城を手中におさめることに成功した。昌幸は、武田家滅亡(1582年)の寸前に勝頼を上州に匿おうとしたがかなわず、その後の半年ほどの間に織田信長、上杉景勝、北条氏直、徳川家康と次々に主君を変えながら、武田なき後の甲斐・信濃・上野をめぐる有力武将の争い(「天正壬午の乱」)の真っ只中で生き残りを図った。1583年、昌幸は千曲川そばに上田城を築き、信州側の守りを固める新たな拠点とした。

徳川と北条とが同盟を組んで武田の旧領を両家で分割することになったのち、沼田領の明け渡しを家康から求められた昌幸がそれに従わなかったため、1585年に家康の重臣たちによる徳川勢7,000余が上田に進軍した。しかし、わずか2,000の真田軍に翻弄され徳川軍は敗走し、昌幸の武名が天下に知られることとなった。

上田合戦の後に、昌幸の次男である信繁幸村)は家康と敵対していた豊臣秀吉のもとへ人質として出仕しており、豊臣氏の有力奉行である大谷吉継の娘を娶った。その後、秀吉が家康と和睦し天下統一の地固めを進めると、秀吉は昌幸に家康の臣下となることを命じ、長兄の信幸が出仕したのち徳川重臣の本多忠勝の娘(小松姫)を妻に迎えた。こうして、真田家の2人の兄弟がそれぞれ豊臣と徳川という当時の2大勢力との縁を深めることになった。

関ヶ原の戦い前後

秀吉の死後、天下統一を狙う家康に従い会津の上杉景勝攻め(1600年)に随行していた昌幸と息子2人は、下野国の犬伏(現在の栃木県佐野市)で石田三成にくみする武将からの密書を受け取った。徳川を滅ぼし豊臣再興をもくろむ三成たちからの誘いに対し、親子3人が夜を徹して話し合った末に、昌幸と信繁は石田方への加担を決めて上田に戻り、信幸は宇都宮に陣を張っていた徳川秀忠のもとへ参じて忠誠を誓った。後に「犬伏の別れ」として描かれるエピソードである。

会津征伐から一転して西へ向かう秀忠の軍勢38,000は、中山道から少し外れた上田城を攻撃したものの、わずか3,000の真田軍に再び撃退された。この一週間ほどの寄り道のせいもあって秀忠の軍は関ヶ原での合戦に間に合わず、再度の上田敗退と天下分け目の決戦への遅参という汚名が後に2代将軍となる秀忠に着せられることとなった。

大坂の陣から江戸時代

関ヶ原で石田方が敗れたのち、信之(父の名前を継いでいる「幸」の字を替えて改名)の必死の嘆願により死罪を免れた昌幸と信繁は、高野山に幽閉されることとなった。麓の九度山に居を構え、少数の家族や家臣との静かな暮らしを過ごした昌幸は、期待した赦免を得られぬまま1611年に没した。

それから3年後、再起を図る豊臣秀頼から大坂入城を請われた信繁とその息子・幸昌大助)は、残っていた少数の家臣や地侍たちと共に九度山を抜け出して参軍した。真田が大坂に入城したことを聞いた家康は、それがかつて苦しめられた昌幸ではなく当時まだ無名だった息子だと知って安堵したとされる。

六文銭をしつらえた信繁の赤備えの甲冑(レプリカ)。

しかし、1614年の大坂冬の陣で信繁は大阪城南東に「真田丸」と呼ばれる砦を築き、城に篭って少数で大軍を打ち負かすという上田での父・昌幸の戦い方を再現して、徳川方に大打撃を与え両軍の和睦に大きく貢献した。また翌年の大坂夏の陣における、堀を埋め立てられた大坂城から外に出ての野戦でも、信繁・幸昌親子は赤備えの3,500の軍勢を率いて奮戦し、家康の首を狙える寸前まで追い込んだとされる。

この戦いで信繁は討死し幸昌も自害(享年14歳もしくは16歳)したが、判官びいきもあって真田父子の武名は後に多くの講談などで描かれ人気を高めた。薩摩藩主・島津忠恒が手紙にしたためた「真田日本一の兵(ひのもといちのつはもの)」という賞賛は有名なフレーズである。

信之は、関ヶ原後に上田と沼田を治める95,000石の大名となり、1622年には松代へ13万石の加増移封された。これは一説には徳川秀忠の嫌がらせともされるが、その後松代藩は幕末まで真田一族による治世で続いた。一方、信繁の次男・守信大八)と三女・阿梅(おうめ)ら4人の娘たちは、大坂夏の陣から落ちのびて伊達藩の家臣である片倉家に保護され、そこから仙台真田家が仙台藩士として幕末まで仕えた。真田の本家も仙台真田家も、現在まで続く家系となっている。


全国ゆかりの地[編集]

ここでは、それぞれのゆかりの地の概要のみ紹介する。各スポットの詳細は当該市町の記事を参照されたい。また、真田幸隆・信綱・昌輝・昌幸が重臣として仕えていた甲斐の武田家に関する場所に関しては、「武田信玄と武田氏ゆかりの地」の記事が詳しい。


長野県[編集]

上田市  
真田が大名としての礎を築いた土地。幸隆が本拠地とした真田郷や昌幸が築城した上田城、将兵や忍びの者たちが傷を癒した温泉地などがある。上田市のゆるキャラは「真田幸丸」、真田町のゆるキャラは「さニャだ幸村(ゆきたん)」。
築城時に柱石にしたとされる真田石が残る上田城跡。
上田市中心部
  • 上田城跡 - 真田昌幸が築城し、徳川の本軍を2度も撃退したことで天下に知られた城。関ヶ原の合戦後に信之が初代上田藩主となった際に幕府の命令でいったん取り壊され、現在残る石垣の多くや櫓などはその後に国替えで上田に移ってきた千石氏が再び整備をしたものだが、平成6年に復元された東虎口櫓門の下には、昌幸が築城時に柱石にしたとされる高さ約2.5m・幅約3mの「真田石」が今も残る。城跡公園内には昌幸・信繁を主神とする真田神社がある。
  • 上田市立博物館 - 上田城跡公園内にあり、真田家関連の展示も多い。
  • 池波正太郎真田太平記館 - 多くの「真田もの」を執筆した池波正太郎にまつわる展示や映像が豊富。
真田町
  • 真田氏館跡 - 上田築城前の真田家の居館跡。
  • 真田氏歴史館 - 真田氏館跡に隣接した場所にあり、1985年4月~翌年3月までの1年間にわたって放送されたNHK新大型時代劇『真田太平記』(原作:池波正太郎。脚本:金子成人。全45話)の劇中で用いられた、真田昌幸(演:丹波哲郎)、信之(演:渡瀬恒彦)、幸村(演:草刈正雄)親子・兄弟の、精密に復元された甲冑・武具や衣装などが展示されていて、真田氏についてわかりやすく理解できる。
  • 真田氏本城跡 - 上田築城前の本城跡。
  • 砥石城戸石城米山城跡 - 真田家が築いた山城だが村上義清に奪われ真田家は存亡の危機に。武田軍も「武田の砥石崩れ」で攻略に失敗したが、その翌年に真田幸隆の調略により取り戻した。関ヶ原の合戦前に徳川軍が上田を攻撃した際には、東軍についた真田信幸がこの城を攻略したが、これは昌幸が息子のために軍功を立てさせる形にしたものとされる。
  • 真田山 長谷寺 - 真田幸隆夫妻と昌幸の菩提寺。
  • 大柏山 信綱寺 - 長篠の戦いで討死した兄・真田信綱のために昌幸が位牌所とした寺。
  • 角間温泉 - 真田の忍びの者が鍛錬し、また戦いの傷を癒したとされる山間の秘湯。
別所温泉
  • 石湯 - 「真田太平記」で幸村と草の者のお江が結ばれた場所として描かれている温泉。


長野市松代町  
信之が初代藩主となり幕末まで真田家が藩政をつかさどった城下町。同町のゆるキャラは「六モンキー家族」。
初代藩主・信之から幕末まで真田家が治めた松代藩。
  • 真田宝物館 - 真田家12代当主から寄贈された武具や文書など5万点を収蔵・展示。
  • 真田邸 - 江戸末期に真田家9代藩主・幸教が建てた屋敷。貴重な建物や庭園が残されている。
  • 松代城址海津城跡) - 川中島の合戦の際に武田方の拠点となった海津城(かいづじょう)。信之が初代藩主となった松代藩によって城下町として発展した。
  • 真田山 長國寺 - 真田家の菩提寺。信之の霊廟が残されている。


群馬県[編集]

東吾妻町  
真田が上州攻略の拠点とした土地。
  • 岩櫃城址 - 幸隆・昌幸が上州攻略の拠点とした難攻不落の山城。昌幸が追い詰められた武田勝頼をこの城に匿おうとしたが実らず。


みなかみ町  
上越国境に位置し武田・上杉・北条などが争った地域。
  • 名胡桃城址 - 昌幸が攻略し沼田城攻めの拠点にした山城。豊臣秀吉の調停によって北条氏との領地分けが行われたあとに、北条方がその約定を破ってこの城を奪ったため、それを口実に豊臣方による小田原攻めが行われ北条氏の滅亡につながった。


沼田市  
北関東の要衝で、昌幸が攻略したのち1681年に幕府によって改易されるまで真田家が治めた。同市のゆるキャラは「小松姫」。
正覚寺に眠る小松姫の墓碑
  • 沼田城址 - 1590年に北条氏が滅んだのち沼田は豊臣秀吉によって真田の領地として安堵され、信幸が2万7千石の初代藩主となった。関東では江戸城とここだけだったという五重の天守閣が1597年に完成したが、1681年に幕府によって改易された際に城全体が破却された。関ヶ原の合戦の折に、上田へ戻る途中の昌幸が「孫の顔が見たい」と沼田城に立ち寄ったが、緋縅の鎧姿に薙刀を構えた信幸の正室・小松姫がそれを拒み夫不在の沼田城を守ったというエピソードが有名。(昌幸は孫をだしにしてあわよくば沼田城を奪おうとしていたともされるが、小松姫がこのときに沼田にいたのかどうかも含めて諸説あり。)
  • 法蔵山 正覚寺 - 1612年に小松姫(大蓮院)から正式に認められ沼田藩の庇護を受けることになった浄土宗の寺院。小松姫の墓が残る(埼玉県鴻巣市で死去した小松姫の遺骨は当寺のほか鴻巣の勝願寺と上田の芳泉寺に分骨されている)。謀略によって北条方に名胡桃城を奪われた城代・鈴木主水がこの寺で自刃した。また関ヶ原の合戦の折に昌幸を門前払いした小松姫が、そのあとこの寺で休息していた昌幸のもとに子供を連れて面会に訪れたというエピソードも残る。


栃木県[編集]

佐野市  
「犬伏の別れ」の舞台となった犬伏町は1943年に周辺町村と合併し現在の佐野市になった。
  • 新町薬師堂 - 会津征伐に向かう途中の昌幸・信幸・信繁が、石田方と徳川方のどちらにつくのか密談を続けた場所とされる。密議の場所は陣所があった同市の大庵寺だったとする説もある。


和歌山県[編集]

高野町  
関ケ原の戦いで敗軍の将となった昌幸・信繁父子が死罪を免れ蟄居を命じられた真言密教の聖地。
  • 蓮華定院 - 昌幸・信繁が高野山に配流された際、麓の九度山に移り住むまで滞在した鎌倉時代創建の寺院。室町時代の終わり頃から、真田家を含め信濃の小県・佐久地方の豪族が宿坊として契約していた。現在の本堂は1860年に松代の真田家によって再建されたもの。(内部見学は宿坊利用者のみ可能。)


九度山町  
高野山が寒さ厳しく女人禁制であったため、登山口にあたる麓のこの土地で昌幸・信繁父子が蟄居した。同町のゆるキャラは「ゆっきー」。
昌幸・幸村が蟄居した真田庵
  • 善名称院真田庵) - 昌幸・信繁親子やその家族・家臣たちが蟄居したとされる場所に、1741年に創建された真言宗の尼寺。境内に真田地主大権現真田宝物資料館がある。
  • 九度山・真田ミュージアム - 真田庵近くに2016年3月13日に開館。史料(実物)の展示は少ないが、九度山での真田親子の雌伏の時を中心とした一族の歴史がパネル展示や映像でわかりやすく表現されている。


大阪府[編集]

大阪市中央区  
九度山で14年間過ごした信繁が豊臣秀頼に請われて入城した大坂城があった場所。
  • 大阪城 - 現在の天守閣は昭和6年に再建されたものだが、館内展示には赤備えの真田隊も描かれている重要文化財『大坂夏の陣図屏風』や、真田隊と松平忠直隊との激戦の様子を再現したミニチュア展示などがある。


大阪市天王寺区  
大坂の陣で奮闘した信繁の足跡が残る町。
幸村が討ち取られたとされる安居神社
  • 三光神社 - 真田丸があった場所に近く、幸村の像が建つ。大坂城との出入りに用いたという伝説の「真田の抜け穴」もある。
  • 真田山 心眼寺 - 信繁・大助父子を弔うために1622年に創建された。徳川を苦しめた真田一族の墓を建てることが許されなかったとされ、400回忌となる2014年にようやく墓碑が建てられた。真田丸があったと推定される土地の東端に位置し、道をはさんで西側にある大阪明星学園の敷地が真田丸のあった場所とされている(2016年2月に、心眼寺に面した同校の敷地内に「真田丸顕彰碑」が建てられた)。
  • 茶臼山 - 大坂冬の陣で徳川家康が本陣を張り、翌年の夏の陣では信繁が陣取って周辺で激戦「天王寺口の戦い」を繰り広げた。
  • 安居神社 - 信繁が討ち取られたとされる場所。信繁がひとり休んでいる姿の像が建つ。


大阪市平野区  
大坂夏の陣では周辺で激戦が繰り広げられた。
  • 志紀長吉神社 - 道明寺の戦いで苦戦した信繁が一時退却した際にここで戦勝祈願し、六文銭の軍旗と刀剣を奉納したとされる。いまも保存される軍旗は毎年1月2・3日と「真田幸村公 戦勝祈願祭」が行なわれる5月4日に一般公開されている(2016年のみ、毎月第3日曜日も公開される)。


宮城県[編集]

蔵王町  
大坂夏の陣で信繁が討死したあと伊達家に保護された次男・大八が領地を与えられ、幕末まで真田家が仙台藩士として勤めた土地。
  • 仙台真田氏情報ステーション - 蔵王町ふるさと文化会館の展示室で、仙台真田氏関連の情報展示が行われている。
  • 仙台真田氏ゆかりの郷 - 大八が領地を与えられた矢附地区に、末裔である真田幸清の供養碑と真田豊治の墓碑が残る。


白石市  
大八や阿梅ら信繁の子供たちを保護した伊達家の重臣・片倉小十郎重長は、仙台藩の支城として幕末まで残った名城・白石城の主だった。阿梅はのちに重長の後妻となる。
数奇な運命が偲ばれる大八と阿梅の墓碑。
  • 白石城 - 阿梅が後妻となった片倉小十郎重長の居城。
  • 功徳山 当信寺 - 大八と阿梅の墓がある。


祭やイベント[編集]

上田真田まつり  
毎年4月下旬に開催される、上田城跡公園や中心市街地を舞台にくりひろげられる歴史絵巻。
 所在  上田市  WEB  [1]


真田町真田まつり  
毎年8月の最初の週末に、町内各所で真田にちなんだイベントが開催される。夜は花火も打ち上げられる。
 所在  上田市真田町


砥石・米山城まつり  
毎年11月初旬に、砥石城・米山城の麓で行われる地域の祭。真田武者行列や信州上田真田六文銭太鼓の演技、城跡への登山会などのほか、馬の背に水と見せかけた白米をかけて城内に水が豊富にあることをアピールし「武田の砥石崩れ」のきっかけとなったと言われるエピソードの再現も行われる。
 所在  上田市真田町  WEB  [2]


松代藩 真田十万石まつり  
毎年10月初旬に長野市松代町で開催される祭。武者行列や関連イベントが週末2日間にわたって開催される。
 所在  長野市松代町  WEB  [3]


紀州九度山 真田まつり  
真田の武者行列が九度山町内を練り歩く。幸村が大坂夏の陣で討死した5月7日にあわせて行われていた祭りが、戦後になって現在の日程(5月4・5日)となった。
 所在  九度山町
紀州九度山 真田まつり


三光神社 真田まつり  
2013年から11月の第1日曜日に行われている。境内にある「真田の抜け穴」が開放される。
 所在  大阪市天王寺区  WEB  [4]


安居神社 幸村祭  
毎年5月5日にとりおこなわれる。
 所在  大阪市天王寺区


志紀長吉神社 真田幸村公戦勝祈願祭  
毎年5月4日に開催される。大坂夏の陣の際に幸村が戦勝祈願で奉納した軍旗が公開される。
 所在  大阪市平野区


天王寺真田幸村博 (終了)  
大坂の陣400年にあわせ、天王寺公園で2014年5月~2015年10月まで開催された。
 WEB  [5]


真田サミット (2006年の第9回で休止中)  
全国のゆかりの地が持ち回りで、1998年から毎年開催されていたイベント。講演会や物産展が行われる。
 所在  秋田県由利本荘市、宮城県白石市、群馬県沼田市・みなかみ町・中之条町・長野原町・吾妻町・嬬恋村、長野県長野市・上田市、大阪府大阪市、和歌山県九度山町  電話    WEB  
 営業時間  毎年10~11月  料金  


大河ドラマ「真田丸」関連のイベント等 (一部を除き終了)  
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」にあわせ、ゆかりの地ではそれぞれイベントや展示などが行われた。
南海高野線の赤備え列車
  • 真田街道スタンプラリー - 全国のゆかりの地をめぐりプレゼントがもらえるスタンプラリーを開催。 上田市観光課
  • 信州上田大河ドラマ館 - 上田城跡公園内の旧上田市民会館で、2016年1月15日~2017年1月17日まで開館。 [6]
  • 特別企画展「戦国の絆」 - 松代町の真田宝物館で、2016年1月17日~12月12日に開催。
  • シャトルバス「絆ライナー」 - 上田の大河ドラマ館と松代の真田宝物館とを結ぶシャトルバスを信州観光バスが期間限定で運行(2016年11月末までの土・日・祝、3日前までに要予約)。上田城跡から真田宝物館まで所要1時間ほど。別所温泉や真田の郷にも立ち寄る。 [7]
  • 上州沼田真田丸展 - 沼田市中心部のグリーンベル21で、2016年3月20日~2017年3月21日に開催。 [8]
  • くどやま「真田丸」大河ドラマ展 - 九度山・真田ミュージアムにて、2016年3月13日~2017年2月28日まで開催。 [9]
  • 南海・赤備え列車 - 2015年11月から約1年間、南海電鉄なんば駅~極楽橋駅間で1編成を運行。九度山駅舎も赤備えに衣替え。 [10]
  • JR西日本・「真田丸」ラッピング列車 - 2016年3月から12月まで、大阪環状線で運行される201系と和歌山線で運行される105系それぞれ1編成づつに「真田丸」仕様のラッピングが施された。和歌山線高野口駅舎も幸村をイメージした装飾に。 [11]


ゆかりの宿[編集]

角間温泉 岩屋館  
真田の忍びの者たちが鍛錬したり傷を癒したりしたとされる角間渓谷にある一軒宿。「真田の里の隠し湯」をうたう。
 所在  上田市真田町  電話    WEB  
 時間    料金  
角間温泉 岩屋館


蓮華定院  
昌幸・信繁父子が高野山に配流された際に最初に滞在したこの寺院は、宿坊利用が可能。
 所在  和歌山県高野町  電話    WEB  
 時間    料金  
蓮華定院