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台湾に残る日本時代

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台湾に残る日本時代

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これは「旅のテーマと主な目的地」の記事です。
台湾総統府(旧台湾総督府)

台湾は1894年~95年の日清戦争の結果、日本に割譲されその植民地となり太平洋戦争終結の1945年までおよそ50年間にわたり日本の統治が続いた。清朝統治下においても本土から離れていたことがむしろ好機となって近代化の端緒についていたが、本格的な近代化は日本統治時代からであり台湾の社会に及ぼした影響は極めて大きい。「台湾に残る日本時代」では、旅行ガイドの観点から建築物や事件跡あるいは文化に残した影響などを切り口として台湾に残る日本時代の名残を眺めていく。


テーマを設定する[編集]

日本植民地統治時代に日本が台湾に与えた影響というのは、各種インフラ整備から社会制度の構築に至るまで、言ってみれば社会全般に及ぶものであり、その内容も多岐に渡る。このため、一口に「日本時代の台湾を訪ね歩く」といっても、その切り口はさまざまであり、人によっていろいろな形の旅行を設定しうる。以下に考えつくまま、いくつかのテーマを挙げてみたい。

長期にわたるフィールドワークでも計画しない限り、一回の旅行でこれらを全て網羅することはおよそ不可能なので、旅行の都度何がしかのテーマを設定して、今回はこれ、という観かたをしてみてはどうだろうか。また、そのように重く捉えずとも、観光旅行の合間に日本統治時代の面影を尋ね歩いてもいいかもしれない。そのような素材は台湾各地にいくらでも残っている。また、幸い台湾は日本から近く、比較的容易に何度でも足を運ぶことができる。一回の旅行でそれほど欲張る必要もない。

なお、以下述べるようなテーマを一つひとつ追いかけていく (テーマごとに極めようと思えば、それだけでも大変だ…) という方法のほかに、それぞれのテーマを少しずつ「つまみ食い」する、という方法もある。通常の観光旅行であれば、むしろある土地を訪ねてこれらテーマを少しずつ体験する、という方法の方が一般的かと思われる。

ハード面に着目[編集]

日本統治時代の建造物を訪ね歩く

そこに建物がある分、わかりやすい旅といえる。台北市内に残る日本統治時代の建物訪ね歩き、というような、土地に着目した切り口もあるし、後藤新平や八田與一などが台湾に残した歴史的建造物を訪ね歩く、というような、人物に着目した切り口も考えられる。当時の建物の中には、博物館のように内部に入ることもできるものも数多くあるが、政府庁舎として使用されていたり、現在閉鎖されているといったように、建物によっては自由に出入りができないこともままある。その場合には、ガイドブックなどに書かれた薀蓄を読みつつ、外見を眺めて写真を撮る程度になる (ただし、そのような施設でも、中には総統府のように日を決めて一般公開しているものもあるので、事前にそれらの情報をチェックしておくとよい) 。

日本統治時代の面影が残る街並みを訪ね歩く

例えば台北市西門町のように、当時「日本人町」として発達したような街区や集落が台湾内には数多くある。都市化や再開発、あるいは植民地統治から年月を経ることで「脱日本化」が進んだ今日では、当時の面影を見つけるのは次第に困難になってきているが、それでもまだ所々に残された日本時代の名残を注意深く探し歩く、そんな街歩きの旅も面白い。

かつて日本関連の施設があった旧跡を訪ね歩く

神社などのように、当時多数造られたものの、日本人の引き上げ後に当地の風俗に合わないため取り壊された施設の跡地や、忠烈祠など他の施設に改造された施設を訪ね歩く旅。取り壊された跡地になんらかの形跡が残っていることもあるし、また、後に改造された施設の中には日本建築の様式を部分的に留めているものもあり、興味深い。特に学校は多くがそのまま台湾の学校として継承されているので、わかりやすいだろう。

温泉めぐり

北投温泉、知本温泉に代表されるように、台湾の温泉の多くは、日本統治時代に開発されている。それらの温泉を訪ね歩く旅というのも面白い。また、そのような温泉の中には、街全体が日本の温泉街としての面影を留めているようなところもある。

ソフト面に着目[編集]

日本統治時代の文物を訪ね歩く

博物館や資料館などに残されている、日本統治時代に関連した文物を訪ね歩く旅。比較的保存状態のよいものが多く、中には同時代に日本国内で造られた機器類のうちで、近年まで台湾で現役として活躍していたものだけが生き延び、世界でここだけに現存する文物となっている、といったような貴重なケースも見受けられることがある。

日本統治時代の地名を訪ね歩く

例えば板橋市高雄市池上郷などのように、台湾各地に日本統治時代の名残を留めた地名が多く残されている。それらを訪ね歩く旅というのも面白い。

歴史的事件の舞台となった土地を訪ね歩く

例えば「霧社事件」などのように、日本統治時代に起こった歴史的事件の舞台となった土地を訪ね歩く旅というのも考えられる。

映画の舞台を訪ね歩く

本数はそれほど多くないが、例えば侯孝賢監督の「非情城市」のように、映画の中には日本統治時代の描写を取上げている作品もある。多少こじつけになるが、そのような作品の舞台となった土地やロケ地などを訪ね歩く旅というのも考えられる。

本省人と外省人

台湾では、第二次大戦後に中国大陸から台湾に渡ってきた人を「外省人」、それ以前から台湾に住んでいる人を「本省人」と呼び習わしている(最近ではこれら二つの族群の境界はかなり曖昧になってきているけれども)。

台湾の高齢者世代のうち、一般に外省人の高齢者は戦時中に中国大陸で日本軍にひどい目に遭わされた、あるいは国民政府軍の兵士として戦い、そのまま国共内戦に巻き込まれ台湾に着の身着のままで渡って辛酸を舐めたと、いったようなネガティブな経験を持っている人が多く、日本の植民地統治時代をよく言う人はまずいない。日本統治時代のことを肯定的に捉えてくれる傾向があるのは、そのほとんどが戦前に台湾で生まれ、植民地統治時代に日本語で教育を受けた本省人の高齢者世代(いわゆる「日本語世代」)である。

ただし、それらの人たちの意識も決して一枚岩というわけではなく、中には戦後の国民政府による圧政や迫害に苦しめられた結果、「それに比べれば日本統治時代の方がまだまし」というレベルで日本統治時代を「肯定的」に捉えてくれる人もいたりする。その点はあらかじめ心に留めておいた方がよさそうだ。

日本統治時代を知る、お年寄りから話を聞く

日本語教育を受けた世代の高齢化が進んでいるため、こちらも難しくなりつつあるが、今ならまだこのようなチャンスも残されている。ツテがないのでいきなり飛び込みで行っても難しいかもしれないが、本省人 (日本統治時代から台湾に住んでいる人) や原住民の比較的多い地域、例えば台東など東海岸などの地方では、たまたま入った食堂で老人達が日本語で会話しているところに混ぜてもらうなど、ちょうど国内の旅先でその土地の人に話しかけるようなノリで話しかける機会にも比較的恵まれやすいのではないかと思われる。

ただしここで注意したいのは、日本統治時代を手放しで懐かしむ人がいる一方で、「当時を余りよく思っていない人も中にはいる」という点。日頃日本に暮らしていると、どうしても台湾植民地統治時代のポジティブな面して伝わってこない傾向があるが、実際は日本統治時代に日本の官憲からぞんざいに扱われたとか、親族が軍属などで南方へと徴用され戦死した、など、ネガティブな経験を持っている人たちもおり、日本で考えられている以上に、台湾の人々の日本統治時代に対する心境は複雑である。相手がそのように切り出してくるのでもない限り、こちらから日本統治時代を礼賛するようなトーンでの話はとりあえず避けた方が無難かもしれない。

台湾文学にそって訪ね歩く

清朝の時代は活字印刷もなく交通や流通も未整備であり台湾独自の文学はまだなかった。台湾文学といえるものはこれらが導入された日本統治時代以降になる。この時代は日本語教育が普及したことや住民の母語である台湾語や客家語に表記法がいまだ確立していなかったことなどから日本語の作品が多い。また佐藤春夫など当時の日本人作家が台湾を扱ったりもしている。これらに言及される場所を訪ねる旅もあるだろう。

日本統治時代の企業を訪ね歩く

太平洋戦争終戦時に中華民国政府は台湾にあった多くの日系企業を接収して国営企業とし、いまもそれらは台湾の大企業となっている。その変遷をたどってみる旅もある。

台湾の近代化に影響を与えた代表的な日本人や日本の組織[編集]

日本による台湾の植民地統治時代を知る上で、当時インフラ整備などを通じて台湾の近代化に大きく貢献した日本人や日本の組織 (その人たちや組織が活躍した時代背景も含め) のことを何人か頭に入れておくと、現地での旅がより興味深いものとなる。例えばある建物を見る場合、単にデザインだけに着目するのと、その建物の建築に誰が深く関与し、また建築にあたってどのような背景があったのかも含めて知っているのとでは、同じ建物を見る場合でも、理解なり興味の深さが違ってくるからである。今述べたような文脈で是非覚えておきたい日本統治時代のキーパーソンや組織をいくつか挙げておく。

後藤新平[編集]

台湾の近代化に貢献した代表的な日本人の筆頭として、まず後藤新平を挙げておきたい。後藤が台湾総督府の民政長官として台湾に赴任していた8年8か月あまりの間に台湾の社会制度やインフラの整備が大きく進展したからである。

総督府民政長官として彼の残した業績は多岐にわたるが、インフラ整備面で見れば、まず鉄道や港湾、道路など交通網の整備を挙げることができる。その代表的なものとしては、縦貫鉄道の敷設、基隆港の国際商業港としての再整備などがある。さらに、旧台湾総督府官邸などに代表されるような、スケールの大きな建造物の建設も、その多くは後藤の発案で進められたものである。

若い頃に訪れた欧米諸都市の都市計画の手法に傾倒していたことや、また彼のある種メガロマニア的な性格も手伝ってか、後藤は民政長官在任中、当時の台湾の都市部で、オーバースペックとも言えるような都市計画に基づくインフラ整備を次々に進めていった。当時台北市では片道3車線、幅員40メートルの道路が4本も建設されたし、市の中心部にはその豪華さから「台湾の阿房宮」と揶揄された台湾総督官邸や博物館などの近代建築物が次々と作られ、さらに日本の諸都市に先んじて大規模な上下水道の整備なども進められた。その結果、当時の台北市は内地も含め当時の日本で最もインフラ整備の進んだ都市となった。

建設当初はオーバースペックとも思え、それ故に、時に痛烈な批判の対象ともなったこれらのインフラだが、その規模の大きさから結果的には往時に比べてはるかに増大した現代の社会需要にも十分耐えうるものとなり得た。このため、その多くが形を変えこそすれ、今日でも台湾社会で十分に機能しており、台北市をはじめとする台湾諸都市を形成する骨格にもなっている。後藤新平が台湾に残した業績を一つ一つ丁寧に訪ね歩くとすれば、それだけでも相当な日数を要するであろう。

新渡戸稲造[編集]

農学者として後藤新平により台湾総督府殖産局長として招かれ、台湾糖業の基礎を作った。現在でこそ糖業は世界的に構造不況業種であるが、当時は台湾の財政に大きく寄与するものだった。

西郷菊次郎[編集]

西郷隆盛と奄美大島の現地妻・愛加那の間の子で、台北庁長・宜蘭庁長を歴任した。宜蘭庁長時代に宜蘭河の治水工事に携わり、これが西郷堤として残っている。

余談だが琉球の漁民が台湾に漂着し原住民に殺された牡丹社事件に対し、叔父の西郷従道は台湾出兵を進め原住民を制圧した。台湾南部にこの事件の碑が残っている。さらに蛇足で信憑性の高い話ではないが、西郷隆盛が若き日に薩摩藩の命で台湾に偵察に来てやはり現地妻との間に子をなしたという話がある。

なお実子のうち隆治と隆秀は拓殖大学へ進学し、隆秀は母校の理事長に就任した。

八田與一[編集]

台湾総督府の技手 (技官) であり、特に台湾の農業水利事業の発展に大きな貢献をした人物として、日本国内よりもむしろ台湾で広く知られている。彼の手による農業水利施設のうちで最も有名なのが、台湾南部にある「嘉南大圳 (かなんたいしゅう)」であり、川 (官田渓) を堰き止めて造った烏山頭ダム (珊瑚潭) と華南平野一帯に細かく広がる灌漑施設からなっている。

拓殖大学[編集]

拓殖大学と台湾の関係は深い。そもそも第2代台湾総督の桂太郎により台湾の植民地開拓のための人材養成機関として設立された台湾協会学校がその前身である。台湾にもその台湾協会により台湾商工学校(現在の台北市私立開南高級商工職業学校、開南大学)が開校され、総督府の便宜を受けて多くの技術者を育てた。現在も拓殖大学は多くの台湾人留学生を受け入れ、台湾での知名度が高い。

後藤は第三代学長、新渡戸は第二代学監を歴任している。

日本統治時代の建築[編集]

2つの総督府庁舎に象徴される歴史的建造物の運命

旧朝鮮総督府庁舎と旧台湾総督府庁舎、日本の植民地統治時代を代表するこの2つの建物の運命にも象徴されるように、日本植民地統治時代の建物の取り扱いに対する韓国台湾のスタンスはとても対照的だ。旧朝鮮総督府庁舎は保存か解体かの議論の末、1995年に解体された。その一方で、旧台湾総督府庁舎は現在でも台湾総統府として使用されており、国の文化財にも指定されている。

建物のことではないので少し状況が異なるが、台北と京城の二つの帝国大学についても違いが見られる。国立台湾大学は台北帝国大学をその起源とし校史もその時代から数えるが、ソウル大学校は実質的には京城帝国大学を継いでいるにもかかわらず形式的にそれが閉校されたことを持って新たな大学としている。

韓国では日本統治時代を忌み嫌う風潮が根強くあり、少しでもその時代の名残を薄めようとする感情が強く働くためか、旧ソウル駅など例外的に保存が決定された一部の建物を除き、その多くは既に解体されたか、あるいは解体される運命にあり、このため日本統治時代を知る建物は近年急速に少なくなってきている。その一方で、台湾では当時の建物の多くが何がしかの施設に転用されて今でも用いられており、また文化財登録などを通じて保存も進められている。

建築物の種類[編集]

現在台湾国内にある (あるいは跡地などが残される) 日本時代の建築物として、以下のようなものがある (建築物の種類はいずれも建築当時のもの) 。

官公庁の庁舎

台湾総督府庁舎 (現在の総統府) に代表されるような、当時の官公庁の庁舎。その多くはレンガ造りなどの堅牢な造りで、文化財にも指定され保存状態のよいものが多い。

軍事施設

当時の日本軍が残した施設。その性質上、官公庁の庁舎と同じように、堅牢な造りのものが多い。

教育機関

商業施設

当時の銀行や市場など、商業施設として建てられた建築物の中には官公庁の庁舎に負けないくらい立派な造りのものもある。

公園

旅館などの宿泊施設

娯楽施設

神社

国家神道普及のための基地として、台湾各地に神社が建設されたが、その多くは取り壊されるか、あるいは忠烈祠などへと改造されており、当時の原型をそのままとどめているものはほとんどない。海外神社(跡地)に関するデータベース

鉄道関連施設

台鉄台中駅

鉄道もその多くが日本植民地統治時代に整備されたものである。鉄道そのものに当時の面影を見つけることは難しいと思うが、日本統治時代に敷設された路線の駅舎には、当時の建物をそのまま使用しているものがまだ数多く残されている。また、鉄道駅の周辺には、当時官公署や銀行などの商業施設として使われていたような、古い建物が残されている場合も多い。

日本式家屋

日本植民地統治時代に建てられた民家が国民政府の台湾接取後もそのまま使われたケースが数多くあり、その一部は現在でも残っている。また、そのような民家が数多く残る区画では、どことなく当時の街の面影も残る。しかし戦後60年以上を経て建物の老朽化が進んでおり、何らかの保存工事でも施されないかぎり、このような家屋や街区は早晩消えて行く運命にあるものと思われる。

現在台湾に現存する日本統治時代の建築物や施設としては、以下のようなものがある。

台北市[編集]

中正区

  • 総統府:かつての台湾総督府で、太平洋戦争時の損傷を受けたが補修され総統府つまり大統領官邸として使われている。
  • 台北賓館:かつての台湾総督公邸。
  • 監察院:かつての台北庁庁舎。
  • 司法院:かつての台湾総督府高等法院。
  • 台湾大学医学院附設医院:かつての台北帝国大学医学部付属病院。
  • 国立台湾博物館:もとは児玉源太郎総督と後藤新平民政長官を記念した児玉後藤記念館。
  • 二二八紀念館:かつての台湾放送協会のラジオ局。
  • 台北郵局:かつての台北郵便局。
  • 台湾銀行:かつての台北台湾銀行。2007年のドラマ『華麗なる一族』のロケに使われた。
  • 台湾鉄路管理局:かつての台湾総督府交通局鉄道部。
  • 南機場夜市:軍用空港の建設予定地だったが、建設されないまま名前だけが残った。
  • 国父史蹟紀念館:孫文が日本統治下の台湾に来た際に宿泊した旅館梅屋敷を移築したもので日本家屋になっている。
  • 自来水博物館:日本時代の水道施設。その後も長く使われたが、現在は水道博物館となっている。
  • 台北市中山堂:1936年建設の台北公会堂。

大安区

  • 台湾大学:かつての台北帝国大学。
  • 青田街と温州街:日本時代の家屋が残り、現在も使われている。

萬華区 — 萬華は台北の最も古い街である。日本時代は花街であり、西門町あたりは繁華街であった。その名残からか現在は西門町は原宿・渋谷に当たるような中高生の街であり、萬華は風俗店や暴力団関係の店が多い。ちなみにもともとは「艋舺」と書いて「バンカ」と読んだが、日本時代に音はそのままに「万華」と改められた。台湾が中華民国となった後に繁体字の「萬華」となり、音も中国語の「ワンファ」となった。西門町の「町」の字は中国語ではふつう使われないが、ここについては日本時代の名残で使われている。

  • 紅楼劇場:かつての台北西門市場。

大同区

  • 台北当代芸術館:建成小学校
  • 台北市警察局大同分局:1933年に建設された台北北警察署。

中山区

  • 圓山大飯店:台湾神宮を廃して造られ、いくつか神社の遺物が残っている。
  • 忠烈祠:台湾護国神社を廃して造られたため、はっきり神社の配置が残っている。

士林区

  • 学務官僚遭難の碑:抗日ゲリラに殺された6人の日本人教師のための碑。

北投区

  • 北投温泉:日本時代に開発された温泉で、当時から続く銭湯もある。
  • 陽明山:日本時代に国立公園に指定され、現在も国家公園になっている。擎天崗の草原にはかつて牧場があり、いまでもその名残で牛の放牧をしている。

台中市[編集]

  • 台中教育大学台中市にある大学で、かつての台中師範学校。台湾大地震の際に戦後に立てられた建物が壊れたにもかかわらず、日本統治時代の建物が無事だったという話がある。
  • 台鉄台中駅:日本統治時代の赤レンガ造りの駅舎が残されている。

台南市[編集]

  • 成功大学:大学自体の前身が日本統治時代に創設された台南工業高等学校であり、台南市内の何箇所かに分かれているキャンパスのうち、光復校舎内には旧日本軍関連の建物がいくつか残っている。
  • 台鉄台南駅:最初は1900年に建てられたが、老朽化のため1932年から改築され1936年に完成した。同じ時期に建てられた台湾鉄道の駅が、レンガをそのまま壁面にあしらったような造りのものが多い中で、白壁のコロニアル風建築という特徴的なスタイルになっている。
  • 国立台湾文学館:1916年、日本統治時代の台湾州庁として建てられた。現在は文学博物館として運営されている。館内では、台南の歴史の展示やさまざまな展覧会が催されている。

高雄市[編集]

  • 高雄願景館:旧台鉄高雄駅。2002年3月まで駅舎として使われていたが、高雄市内の地下鉄と高速鉄道建設に伴う駅の再整備のために駅舎としての役目を終え、現在では歴史建造物として保存・公開されている。


新北市[編集]

  • 金瓜石新北市にある日本統治時代に開発された金鉱で、神社や金鉱事務所の廃墟あるいは当時の皇太子の泊まった屋敷などがある。新たに建設された博物館内にも当時の金鉱の様子をしのばせる様々な遺物が展示されている。

鉄道[編集]

  • 鉄路便当


事件[編集]

参考文献[編集]

  • 『台湾に生きている「日本」』 (片倉佳史著 祥伝社新書) — 台湾各地に残る日本統治時代の建築物や遺構などのうち、主なものについて詳細な解説が載っている。巻末に訪ねてみたい歴史建築物と遺構のリストあり。その他、著者のホームページ、「台湾特捜百貨店」からもいろいろと情報が検索できる。  WEB  台湾特捜百貨店