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ロシア
出典: Wikitravel
目次
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危険情報: この地域のうち一部地域への渡航、滞在にあたっては、日本の外務省から渡航を延期、あるいは退避の検討・準備をするよう、危険情報が出されています。 |
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| 国旗 | |
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| 位置 | |
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| 基礎データ | |
| 首都 | モスクワ |
| 政体 | 連邦制 |
| 通貨 | ルーブル (руб) |
| 面積 | 17,075,200km² 水面積率: ○○% |
| 人口 | 143,782,338人 |
| 言語 | ロシア語 |
| 宗教 | ロシア正教、イスラム教、仏教、ユダヤ教など |
| 電気 | 127・220V 50Hz A・B・C・SE型プラグ |
| 国際電話番号 | +7 |
| ドメイン | .RU |
| 時間帯 | UTC +2~UTC +12 |
ロシア連邦 (ロシアれんぽう、Росси́йская Федера́ция、Rossiyskaya Federatsiya) は東ヨーロッパと北アジアにまたがる世界最大の面積を持つ国。
北は北極海、東はベーリング海、オホーツク海、日本海に面する。
南西のカフカス地方で黒海とカスピ海に面し、アゼルバイジャン、グルジアと接する。
西は一部バルト海(フィンランド湾)に面し、ノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、ベラルーシ、ウクライナと接する。
また、飛び地のカリーニングラード州は、バルト海に面し、ポーランド、リトアニアと接する。
サウジアラビアに次ぐ世界第2位の原油生産国でもある。
[編集] 地方
| 中央連邦管区 (ベルゴロド州、ブリャンスク州、ヴラジーミル州、ヴォロネジ州、コストロマ州、カルーガ州、イヴァノヴォ州、クルスク州、リペツク州、モスクワ州、オリョール州、リャザン州、スモレンスク州、タンボフ州、トヴェリ州、トゥーラ州 、ヤロスラヴリ州) 西部にある連邦管区。州の西部はベラルーシ、ウクライナに接する。 |
| 北西連邦管区 (カレリア共和国、コミ共和国、アルハンゲリスク州、ネネツ自治管区、ヴォログダ州、カリーニングラード州、レニングラード州、ムルマンスク州、ノヴゴロド州、プスコフ州) 北西部にある連邦管区。北は北極海に面する。西は一部バルト海に面し、ノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、ベラルーシに接する。なお、飛び地のカリーニングラード州は、バルト海に面し、ポーランド、リトアニアと接する 。 |
| カリーニングラード州 リトアニアとポーランドに挟まれた飛び地の州で、行政界上は北西連邦管区に属する。 |
| 南部連邦管区 |
| 沿ヴォルガ連邦管区 |
| ウラル連邦管区 |
| シベリア連邦管区 国のほぼ中央部 |
| 極東連邦管区 |
[編集] 都市
- モスクワ - 首都。ロシア最大の都市。
- サンクトペテルブルク(レニングラード) - ロシア第2の都市であり最大の貿易港。運河が縦横に巡る美しい街並みなため「北のヴェネツィア」と称される。ドストエフスキーの小説『罪と罰』の舞台。地球最北端の100万人を超える都市でもある。
- ニジニ・ノヴゴロド - ロシア第4の都市。沿ヴォルガ連邦管区の本部。文豪ゴーリキーの生地。
- ロストフ - 南部連邦管区の本部。
- ノヴゴロド - ロシア最古の都市。
- ソチ - 黒海沿岸に位置するロシア随一のリゾート地。2014年冬季オリンピックの開催地。
- ムルマンスク - 北極圏に位置する世界で最大の都市。
- カリーニングラード - ロシアの飛び地カリーニングラード州の州都。
ウラル
- エカテリンブルク - ロシア第5の都市。ウラル連邦管区の本部。
シベリア
極東
[編集] その他の旅行先
[編集] 分かる
[編集] 歴史
リューリク王朝
このころの記述は12世紀のキエフの僧が記した「過ぎし年月の物語」(別名:原初年代記)が資料として用いられる。しかし、原本は伝わっていない。
ロシア人の祖先となる人たちは北方にノヴゴロドという町を築き暮らしていたが、やがてノブゴロドに内紛がおこり、市民たちに請われてノルマン人ワリャーグ族のリューリクがやってきて、支配者となった。これがリューリク王朝の始まりである。
ノヴゴロドの支配者となったリューリクはキエフ(現在ウクライナ領)を攻め落とし、幼い息子イーゴリを支配者とした。この後、ロシアの中心地はノヴゴロドからキエフへと移っていく。
キエフ大公イーゴリの妻オリガは956年にコンスタンチノープルでキリスト教の洗礼を受け、ロシアで最初のキリスト教徒となる。その後、988年にウラジーミル大公が東ローマ帝国の皇帝の妹アンナと結婚する際、キリスト教の洗礼を受けることを条件に結婚し、ロシアの国教がギリシャ正教となる。後を継いだヤロスラフ賢公の時代にキエフを中心とするロシアの最盛期を迎える。
ヤロスラフ賢公の死後、キエフでは後継者争いやポロヴェツ族の侵攻などが起こり、次第に衰退していく。1237年、チンギス・ハンの孫バトゥが率いるモンゴル軍がロシアに侵攻し、モンゴルの支配下に置かれ、ヴォルガ川下流のサライを首都としてキプチャク・ハーン国を立てる(タタールのくびき)。支配下に置いたモンゴルはロシア諸公に徴税義務を課し、間接支配した。
一方、モスクワ公イワンは政治的策略をめぐらしモスクワ公国の勢力拡大を図る。モスクワにギリシャ正教の大府主教座を宣布させることに成功し、モスクワ公国の権威は高まることとなる。
1380年、弱体化したキプチャク・ハーン国にモスクワ公ドミトリー・ドンスコイを中心とするロシア諸公連合軍が勝利を収める。しかし、完全にモンゴルの支配下から脱するのはイワン大帝の時代のことである。
そのイワン大帝は100年後に即位し、ロシアで初めて「ツァーリ」という称号を名乗る。ビザンチン帝国の最後の皇帝の姪ソフィアを妃に迎え、ビザンチン帝国の正当な継承者を名乗る。国章にビザンチン帝国のものであった双頭の鷲を採用し、ギリシャ正教をロシア正教として引き継ぐなどして、中央集権体制と専制君主の地位を確立していく。
イワン大帝の息子であるイワン雷帝は、当初は善政を布いていたものの次第に恐怖政治へと変容していく。イワン雷帝はオプリチニキという親衛隊のみを信用し、密告、暗殺、処刑など、蛮行を繰り返し罪のない人々を殺した。晩年、過失で皇太子であった息子のイワンを殺してしまうなどして、次代のフョードル帝の大でリューリク朝は断絶する。
ロマノフ王朝
1598年のリューリク朝の断絶からロシアは動乱の時代を迎える。1613年にロマノフ家のミハイル・ロマノフが即位し、1917年のロシア革命までロマノフ朝がロシアを統治することになる。
1682年、ピョートル大帝が即位する。2m以上ある大男で、1690年には自ら西欧諸国へ外遊し遅れたロシアの近代化を決意し、近代化の父となる。1696年、親政を開始。ロシアで初めて「インペラートル(=皇帝)」を名乗った人物でもある。スウェーデンとの北方戦争に勝利し、獲得したネヴァ川河口の地に新都建設を命令。1703年にモスクワからこの地に遷都し、サンクトペテルブルグと命名する。1725年、ネヴァ川に落ちた人を助けようとして自らも川へ飛び込んだことが原因で死亡した。
ロシアは皇帝乱立の時代を迎えるが、1762年、女帝エカテリーナ2世が即位する。彼女はドイツ・ポンメルンのシュテッティンで帝国領主の娘として生まれ、ピョートル3世に嫁いだが、クーデターでその座を得る。エカテリーナ2世はフランス啓蒙思想の崇拝者で、啓蒙君主としてロシアを統治する。女子学習院の創設、法典の編纂、科学アカデミーの設立などの近代化事業をピョートルたいていより引き継ぎ推し進めていった。また、ドイツ、オーストリアと共にポーランド分割を行い領土拡大にも力を入れている。また、江戸末期にロシアに漂着した大国屋光太夫にも謁見している。
その後、反体制派によるテロが起こるようになり、1881年にはアレクサンドル2世が爆殺されるなど、ロシア革命に向けて突き進んでいく。1894年には最後の皇帝ニコライ2世が即位する。皇太子時代の1891年には日本の大津で巡査から頭部を切り付けられた大津事件に遭っている。1905年の血の日曜日事件をきっかけに帝政への反発が高まり、日露戦争は不利な講和条約を結ぶことになるなど、皇帝の地位が揺らいだ。
ロシア革命
1917年3月、第一次世界大戦のさなかに二月革命が発生。ニコライ2世は退位を余儀なくされ、皇位継承者も即位を拒否。ここにロマノフ王朝は滅びた。1917年8月には皇帝一家がシベリアへ護送される。
1917年11月、レーニン率いるボリシェビキ党を中心とする勢力が十月革命を起こし、二月革命で発足した臨時政府を倒した。これは、世界初の社会主義革命であった。皇帝一家は1918年7月16日にボリシェビキによって処刑された。十月革命後、革命勢力とそれをよしとしない勢力との間で武力衝突が起こるが、1922年12月にソビエト社会主義共和国連邦が成立。世界初の社会主義国家が誕生してロシア革命は収束へと向かっていく。
ソビエト時代
社会主義社会を実現するため、資産家の資産、土地の国有化が始まる。また、反革命勢力との戦いのため農民から強制的に食糧を徴発するなど、厳しい手段のために餓死する農民もいた(戦時共産主義)。内戦もひと段落し、低下した生産力回復のため新経済政策「ネップ」が行われる。部分的に市場経済を導入したものだが、社会主義体制との矛盾もあり、集団農場や国営工場に移行していく。
1924年、最高指導者であったレーニンが死去。遺体は赤の広場に建設されたレーニン廟で永久保存され、現在でもその遺体を見ることができる。レーニンの死後最高指導者となったのはスターリンである。
スターリンは次々とライバルを粛清。最大のライバルで国外追放にしたトロツキーをメキシコで暗殺させるほどの徹底ぶりである。その後、粛清はノルマが治安機関に割り当てられ、罪のない人々まで強制労働収容所に送られたり、処刑されたりした。被害者の数はいまだに不明である。1941年には独ソ戦が開戦。当初、ソ連軍は組織的反攻ができなかったが、持久戦に持ち込むことに成功し、ヒトラー率いるドイツに勝利する。戦後、スターリンは完全に絶対的地位に就き、独裁者として君臨する。また、東欧や東アジアの占領地に親ソ政権を樹立。後の東側陣営の原型となる。
第二次世界大戦では同じ連合国であったアメリカとの関係がイデオロギー対立のため悪化。冷戦となる。ソ連は東側陣営の盟主として超大国となる。1949年には核実験にも成功。
1953年にスターリンが死去。フルシチョフが最高指導者となる。スターリン批判を行い、自由化を進めたが、それでも監視国家、警察国家であることに変わりはなかった。キューバ危機への対応、農業政策の失敗でフルシチョフは失脚。ブレジネフが最高指導者となる。
ブレジネフの時代は「停滞の時代」といわれる。汚職が蔓延したが、経済は安定したといわれている。ブレジネフは数多くの勲章を自ら受賞した。
アンドロポフ、チェルネンコはそれぞれ約1年の短期政権であった。
1985年にゴルバチョフが最高指導者となる。ペレストロイカ(建て直し)とグラスノスチ(情報公開)政策を推し進め、自由化を図り、社会主義を再生しようとしたが、民衆は自由の味をしめて社会主義体制に反発。結局1991年にソ連は崩壊する。
ゴルバチョフは新思考外交を推し進め、西側との関係改善、東側諸国への不介入を行った。ゴルバチョフが1989年の東欧革命を起こす下地を作ることとなる。1989年にはマルタ島でアメリカのジョージH.W.ブッシュ大統領と会談し、冷戦の終了を正式に宣言した。
新生ロシアとして
ソビエト連邦崩壊後、ロシア共和国の大統領であったエリツィンがソ連を継承したロシア連邦の大統領となる。エリツィンのもとで急速な市場経済化が図られるが、新興財閥と政権が結託して民営化にかかわる汚職が蔓延し社会は混乱。1998には財政危機を起こしてしまう。その後、首相交代が相次ぐ。
1999年の大晦日、エリツィンは突然辞任し、首相であったプーチンを大統領代行に指名。第二次チェチェン紛争で名をあげて大統領に当選。第二代ロシア連邦大統領となる。プーチン政権下でロシア経済は回復。天然資源価格高騰もあってロシアはBRICsの一角を占める。
2008年、ドミトリー・メドベージェフが第三代大統領に就任。
[編集] 国民
100を超える民族が住む多民族国家である。最大の民族は東スラブ系のロシア人で、全体の80%を占める。ロシア人以外の主要民族にはウクライナ人、チェチェン人、イングーシ人、オセット人、カルムィク人、タタール人、バシキール人、チュヴァシ人、トゥヴァ人、サハ人、エヴェンキ人、タイミル人、マリ人、モルドヴィン人、カレリア人、イヌイット、ドイツ人、ユダヤ人、高麗人などが住んでいる。
[編集] 気候
[編集] 祝日
[編集] 着く
[編集] ビザ
新興国として注目を受け、治安も安定していながら、ロシアは個人の自由旅行が困難な国である。その理由は厳格なビザ制度に尽きる。
現在、ロシアビザを取得できるのは、原則として旅行者の国籍に属する国を管轄する大使館・領事館に限られている。到着地ビザの概念も無いので、日本を出国する前に交通チケットやホテルも含めて、すべての準備を整えなければならない。
日本人が日本国内で手続きをとる場合、観光ビザの手数料は受け取り2週間前までなら無料だ。旅行者自身がプランを立てる場合、出発予定日から逆算して2~3ヶ月前から準備を始めることになる。
[編集] インビテーション(招待状)
ロシアビザを取得する条件として、旅行者の受け入れる者によるインビテーション(招待状)が必要である。ロシア国内ではこの招待者により身元が保証されているというわけだ。
一般的な観光旅行の場合、ロシア国営の旅行社「インツーリスト」が受け入れ者となって、インビテーションを発行してもらえる。この条件として、ロシア国内のスケジュールをすべて確定させ、全行程の交通機関のチケットとホテルの予約を確保しなければならない。ロシアの入出国のチケットは自分で確保することもできるが、その際も代金をあらかじめ払い込み、予約証を発行してもらうこと。
もしロシア国内に親類や友人がいるのなら、彼らへの訪問を目的とする訪問ビザを受けるという方法もある。この場合、招待しようとする者(親類や友人)が地元の出入国管理局の事務所へ出向いて手続きをとらなければならない。この手続きだけで一月もかかり、何度も事務所に足を運ぶ必要がありかなりの負担となるため、本当に親しい間柄でない限りおいそれと頼めるような代物ではない(逆に、招待してもらえる親しい人がいるのなら、是非とも頼りたい)。
ビジネスビザや就学ビザも同様に、受け入れ機関(会社や学校)のインビテーションが必要である。一部には「ビジネス目的の訪問」ということにしてインビテーションを発行する業者が存在するらしい。もちろんこれでビザが下りるかもしれないが、ビザの目的外の行使は「不法滞在」にほかならない。
ロシアに入国したら、3日以内に出入国管理局へ外国人登録しなければならない。観光ビザの場合、通常はホテルにチェックインした際にホテルが代行で手続きしてくれる。小一時間ほどかかるが、書類やパスポートをフロントに預け、部屋で待っていればよい。
[編集] バウチャー旅行
観光ビザ取得の条件として、交通費やホテル代など全行程で必要な代金が支払い済みである必要がある。その代金支払い済み証明書が「バウチャー」だ。
バウチャーの原本は事前に渡されるか、到着地のホテルに届けられる。旅の先々で必要なバウチャーを渡し、サービスを受けることになる。
以上、必要な書類を挙げたが、これらは最終的に副本が手元に残るはずである。ロシア国内ではパスポートと共に常に携行しなければならない。
なお、専門業者がビザ取得用に発行する「空バウチャー」を使えば、ホテル等の事前予約なしで観光ビザを取得でき、事実上自由な個人旅行が可能となる。ただし、これは法的に問題のある方法なので、現地で余計なトラブルを避けたい人にはお勧めしない。
[編集] 飛行機で
2010年2月現在、日本からの直行便は日本航空(週3便運行)とアエロフロート・ロシア航空(毎日運行)が成田国際空港とモスクワの間を運行している。なお、日本航空のモスクワ側の到着空港はドモジェドヴォ国際空港、アエロフロートはシェレメチェヴォ国際空港である。
また、ウラジオストク航空がユジノサハリンスク~成田便、ウラジオストク~新潟・富山便、ハバロフスク~新潟便を、サハリン航空がユジノサハリンスク~新千歳便をそれぞれ運行している。
また、ウラジオストク航空がウラジオストクから北九州空港・関西国際空港へ季節便を運行した実績もある。
[編集] 列車で
CIS諸国、バルト三国、フィンランド、ポーランド、ドイツ、オランダ、オーストリア、チェコ、スロバキア、セルビア、クロアチア、イタリア、ルーマニア、ブルガリア、モンゴル、中華人民共和国との間で直通運転を実施している。なお、朝鮮民主主義人民共和国との間でも直通運転を行なっていたが、北朝鮮国内の線路整備が不備のため、北朝鮮国内の運行は打ち切られている。
[編集] 車で
[編集] バスで
ドイツや東欧諸国からのバスが運行されている。また、サンクトペテルブルグ~ヘルシンキ・タリン間のバスもある。
[編集] 船で
貨客船ルーシ号が伏木富山港~ウラジオストク港間を結んでいる。おおむね週1往復運行。 また、ハートランドフェリーが不定期便として稚内~大泊/コルサコフ間を航行している。
[編集] 動く
[編集] 飛行機で
国土の広いロシアにおいて、飛行機はきわめて重要な交通手段である。特に離れた都市へ行く場合、鉄道に比べて費用は高いが、移動時間を大幅に短縮できる。
[編集] 列車で
[編集] シベリア鉄道
- ロシアを端から端(もちろん、ロシア全域に鉄道があるわけではない)へ向かうにはシベリア鉄道の利用が便利。ただし時差はあるがダイヤグラムはモスクワ時間である。
- その他、モスクワ~サンクトペテルブルクなどに長距離列車が運行されている。
- モンゴル経由で中国に向かう列車もある。国境で台車を換える。
[編集] 地下鉄
- 華美な駅舎が特徴の地下鉄が多い。特にモスクワのものが有名。
[編集] 車で
観光客は国際運転免許があれば運転可能。レンタカー業者は基本的にモスクワやサンクトペテルブルクといった大都市にしかなく、利用料金も高い。また、道路事情も悪く、まともに整備されていない場所が多数存在している。
[編集] 喋る
公用語はロシア語。モスクワなどの大都市や観光客の多い場所やチケットカウンターなどでは英語が通じるが国土が広いため全般的に英語の通用度は高くなく、国土が広いため地方によるロシア語の方言の差も大きい。 ウラジオストクやサハリンなどの極東ロシアでは日本語が標識・案内板などに併記されていることもある。
[編集] 買う
[編集] 通貨
ロシアの通貨単位はルーブル (R)。2011年11月5日現在の為替レートは以下のとおり。
| ¥ 日本円 | ¥1.00 = R0.3919 | R1 = ¥2.5515 |
| $ 米ドル | $1.00 = R30.595 | R1 = $0.0327 |
| € ユーロ | €1.00 = R42.0846 | R1 = €0.0238 |
※上記通貨に関して直近のレートを調べたい場合には、Bloomberg.co.jpなどを参照。
[編集] 物価
[編集] 食べる
コーカサス地方など、地方によってはケフィア(発酵乳)やヨーグルトが広く食べられている。味付けは日本とは違い、砂糖ではなく少量の塩で食べるのが一般的。
有名な料理には、「ボルシチ」、「ビーフストロガノフ」などが挙げられる。
[編集] 飲む
[編集] 泊まる
[編集] 学ぶ
[編集] 働く
[編集] 気を付ける
- チェチェン共和国や周辺地域ではロシア政府軍とチェチェン武装勢力との間で紛争が起きているため、安易に近づいてはならない。
- モスクワやサンクトペテルブルク等の大都市を中心に、外国人排斥主義者による襲撃事件が多発しており、外出する際には十分に気をつける必要がある。
- 目立つ服装は避け、外出先での派手な行動は慎む。
- ロシアのネオナチ(いわゆるスキンヘッドグループ)は人種を問わず、外国人に対して暴行する可能性があり、殺されるケースもあるので絶対に近づいてはならない。ネオナチに限らず、サッカーのサポーターや、若者の集団などにも注意が必要である。
- 外出の際には携帯電話を携行し、連絡する手段を確保する。
- ナショナリズムが高揚するヒトラーの誕生日(4月20日)、民族統一の日(11月4日)の外出は特に気をつける。どうしても移動する必要がある場合は、単独行動を取らずにグループで行動し、車で移動することをお勧めする。
- 悪徳警察官に注意すること。特にパスポートの提示を求める時は、財布の中まで提示させたり色々と難癖をつけたりして賄賂を取ろうとしてくる(警察官が現場で罰金を受け取ることは禁止されている)。
[編集] 健康を保つ
夏には蚊が大量発生する。ロシアの蚊は日本のものより大きく狂暴なので、虫除け対策はしっかり準備しておいたほうが良い。
[編集] マナーを守る
[編集] 連絡する
[編集] 郵便
ロシアでは、公営のロシア郵便(Почта России)が全国に郵便事業を展開している。郵便事情はソ連時代に比べればだいぶ改善されたが、それでもあまり良いとは言えない。
日本から送る場合の日数は、通常の航空便が9日、EMSが5日とされている。ただし、この日数はあくまでも参考程度にしたほうが良い。ロシアではすべての国際郵便がモスクワ経由で配送される上に、税関の検査や国内の輸送で時間がかかるためである。
ロシアから日本へ送る場合、料金ははがきが20ルーブル、封書が20g以内で22.5ルーブルとなっている。届くまでの日数は航空便で1週間以上とされているが、これも大幅に長くなる可能性がある。
郵便物の紛失が不安であれば、EMSにしたほうがよい。確実に早く届けたい場合はDHLやFedExなどの民間企業を利用すること。


